乗合列車、一等客室にて



ジョットの事が聞きたい?
へえ、物好きだね。まあ、いいよ。僕もちょうど退屈していたところだ。
そうだね。僕が彼に接触したのは、シチリアに妙な私兵団ができて勢力を拡大しつつあるという情報を掴んでからの話だ。シチリアの平定には、僕も本国も大きな関心を寄せているからね、使える駒ではあるな。けど、あれはまったくふざけた連中だよ。
どのぐらいふざけているかって?
そうだね、じゃあ、いつかの作戦の話でもしようか。本当にふざけた作戦だったから、君に話しても、君が誰に話しても、誰も信じないだろう。
作戦の舞台は、シチリア本島内陸の、ある小さな村でね。その村自体はのどかなものだったのだけれど、その北と南の集落は既にどちらも、北軍と南軍それぞれの独立同盟に組み込まれていた。南北両軍はお互い、その村を取ればチェックメイトって睨み合いを続けていたわけさ。
僕の任務は、その村を緩衝地帯として武力衝突を回避させることで……ん、なんだったかな、あの連中のふざけた名前……ああそう、『ボンゴレファミリー』。彼らは第三勢力としてその場所を押さえたかったみたいだね。僕が行ったときには既に、彼らは作戦を実行に移そうとしていた。
で、その作戦っていうのが……






「じゃあ他にどうするってんだよ、アラウディ!」
 刺青の男が声を張り上げた。この男はすぐに声を荒らげる。粗暴な外見そのままだ。
「時期尚早だって言ってるんだよ。両軍とも目立った動きはないんだ、焼き打ちなんて略奪まがいの行為は認められない。」
「んな悠長な事言ってらねぇんだよ! こっちはさっさとカタ付けて次にいかなきゃならねぇんだ。今しかねぇんだよ! 作戦計画はできてる、配置も避難路の確保もできてる、それを……」
「作戦?」
 僕は聞き返した。
「明後日にはきっと雨が降るから、炎はきっと燃え広がらないから、そんなものが?」
 刺青はチッと舌打ちした。
「何度も見てるだろうが。」
「2回だよ。偶然の範囲内だな。」
 男がぎりぎりと僕を睨む。三人の同席者  東洋人と黒髪の神父と、青年と少年の間ぐらいの年の子供  は、何も言わない。文字通りの睨み合いだ。沈黙が辺りを満たし……やがてそこに、トントンと階段を下りる足音が割り込んできた。
「ジョット、」
 刺青が振り返り、足音の主に呼びかける。
「寝てなくていいのか? 熱は?」
 階段から降りてきた男は夜の海のような色のガウンを纏っていた。髪は淡いブロンド、瞳は明るいアンバー。小柄な体格はゆったりとした服のせいで余計に小さく見える。顔つきは、あどけない時もあればひどく狡猾に見える時もあった。
 総じて、得体が知れない。
 それが、このふざけた連中のボス、ジョットだった。
「寝付けないから起きてて、動けるから降りてきたんだ。ほら」
 ジョットは刺青の男の隣に立った。確かめてみるか、と言わんばかりに自分の額を指差す。炎を模した刺青の手が額に伸ばされるのを見て、ジョットは目蓋を閉じた。
 本当に、この男は狡猾に見える時もあるのだ。何度も目にしている。諜報活動でおおよその年齢も調べがついている。なのに、例えば今この瞬間などは、僕の目にさえ、齢十五に満たないと言われても信じてしまいそうに幼く見えるのだ。
 刺青の男が腕を引き、トン、と軽くジョットの額を小突いた。
「寝てろよ、まだ熱いぞ」
「でも、眠れないんだ」
「それでも寝てろ」
「じゃあ、ミルク、温めてきてくれ」
 当然のように言って、ジョットは目を細めた。
「そしたら寝るよ。お前の言う通りに」
 刺青が頭を抱える。
「……おいジョット! あのな、オレはてめーをボスにした覚えはあるが、てめーの使用人になった覚えはねーぞ!」
 怒鳴り散らすのをどこ吹く風とジョットは椅子を引きテーブルについた。大仰な悪態一つ吐いて、入れ替わりに刺青が席を立つ。すれ違い様、当てつけるように片手でぐしゃぐしゃとジョットの髪を乱した。


 後ろ姿が消えるのを見届けると、ジョットは「さて、」と呟いた。乱された髪を整える。腕組みのまま無言を貫いていた神父に声をかける。
「……で、怒鳴ってるのが筒抜けだったから降りてきたんですけど。今日は仲裁してくれないんですか。ナックルさん」
「ああ」
 ぱちりと神父が目を開けた。
「今回は、どちらの言い分も理があるからな。時間がないのも事実だが、オレも火は好かん」
「そうですね。オレも、できれば避けたい」
 同意して、ジョットは次に東洋人に目を向ける。
 彼のイタリア語は少したどたどしい。それでも昔に比べればましになったらしいのだが。彼にあわせるように、ジョットもややゆっくりと話した。
「雨月、明後日、雨が来るのは間違いないな?」
「ああ。ジョットも感じるだろう。そして、その後は当分降らない」
 ジョットは小さく頷いた。そして今度は僕に顔を向けた。
「アラウディ、」
 聞くまでもない。
「僕は非科学的な証拠は採用しない」
「……わかった」
 ジョットは肩を竦めた。そしてテーブルに広げられた村の地図に目を落とした。
 この集落はこの辺りでは珍しく、酪農を主としていた。とくにチーズの質が良くて、それで外貨を得ている。そのおかげで、南軍にも北軍にもつかずに独立していられたのだが、結局はそれがアダとなって取り残されてしまった。皮肉なものだ。
   などという真っ当な事は、この男は考えないのだろう。地図をなぞりながら、ぽつり、とジョットが呟いた。
「……なあ、牛追い祭りって、あったよな。どこだったかな……」
「ああ、パンプローナだ。スペインの夏の祭りだな。それがどうかしたか?」
 神父が答え、ジョットは地図から顔を上げた。まっすぐに僕を見る。
「今ちょうど、ここの牧草地は刈り入れが済んだばかりで燃えるものなんてほとんどない。ちょうど雨が来るし炎は抑えられるから居住区に被害は及ばない」
 そこで言葉を区切るとジョットはかるく右手の人差し指を立て、それを地図上の牧草地の隅に突き立てた。
「だから、このへんで火事を起こしてちょっと驚かして、村の人にはしばらく山の方まで逃げてもらう。その間にうちの精鋭で南北両軍を退ける。掃討戦は一晩もあれば十分だ。火事は山火事ってことにして、翌朝戻ってきた村の皆さんに自己紹介して、できればうちのファミリーに入ってもらえると嬉しい」
 地図をなぞりながら説明を終え、再びジョットは顔を上げた。
「……という作戦だったんだ」
 馬鹿馬鹿しい。
「それは作戦じゃなくて詐欺だ」
「うるせぇよ」
 悪態とともに刺青の男が帰って来た。
「詐欺でも何でも上等だ。結果がついてくりゃ手段はどうでもいいんだよ」
 喋りながらカップをテーブルに置こうとして、ジョットが手を伸ばしている事に気が付いた。
 こぼすなよ、と男はカップを手渡して、ジョットはありがとうとそれを受け取る。両手で掴んでテーブルに肘を突いて、ミルクのカップに口を付ける。作戦よりこちらのほうが先だと言わんばかりに。
 この組織はふざけた連中ばかりだが、やはり、極めつけはこの男だ。苛々する。
「その馬鹿げた作戦概要はもう何度も聞かされてるよ、それで?」
 こくん、と喉を鳴らしてから、ジョットはやっと口を開いた。
「オレたちは、しばらく集落が無人になることが目的で、手段はどうでもいい。それで、さて。
 ここに広大な牧草地があるけれど、じゃあそれを食べる牛はどこにいるんだろう?」
「やだなあ、牛舎に決まってるじゃないですか」
 それまで大人しく話を聞いていた子供が、突如、勢い込んで口を挟んだ。
「牧草地がこの広さなら、十数頭はいるはずです。うちのもそのくらいの規模ですから」
「ふうん」
 ジョットは子供の方に身を乗り出した。
「なあランポウ。それは一カ所にまとめておくのか?」
「このぐらいなら、一カ所で十分だと思います。ああほら、地図のこの建物ですよ、牛舎。ここで朝に乳を搾って、昼の間は外の牧草地で食事させて、夜になったらやっぱりまた牛舎に集めるんです」
「集める……って、そんなに簡単に言うことを聞くものなのか?」
「雌牛は大人しいですから、そんなに難しくないですよ。ただたまに、うっかり驚かせちゃったりとかすると、みんなで暴れだしちゃって大変なんですけど」
「そうか、ありがとう。詳しいんだな。ランポウ」
「そっ、そんなことないです。うちにもいるから、当然です」
 ジョットがにっこり笑いかけると、子供は照れたように頭に手をやった。しかし、謙遜の台詞はもうジョットの耳に届かない。
「……と、まあ、そういうことらしいから  
 カップが机に置かれる。ことりという音が静かに響いた。
 ジョットはぐるりと机を囲む一同を見回す。
「もし誰かが、夜中に牛舎に忍び込んで大騒ぎして、驚いた牛が一斉に逃げ出したりしたら、村人総出の大騒ぎ……だな」
 まだ頭を掻いたままの子供だけが、え? と間の抜けた声を漏らした。


 ジョットの目付きが鋭くなった。
「足場がわるいのは逆に不都合だ。雨月、オレは明日はまだ降らない気がする。お前はどう思う?」
「ああ。雨は明後日の晩だ」
「よし、次。ランポウ」
「はっ、はい?」
「おまえは牛舎に忍び込んで、牛を驚かせて山の方まで走らせろ。できるだけ目立って村中巻き込む事。できるな?」
「えっ? いっ、いえあの、」
「どうした? ランポウ、牛舎ならお前の家にもあって、詳しいんだろう」
「あのっ、しっ、使用人に任せていたのでオレ、」
「なんだ。できないのか?」
「でっ……で、でき……でもっ」
「はっきりしろよ、面倒くせぇな」
 口汚く言ったのは刺青だ。
「いつかはてめーが家を継ぐんだろ、覚えといて損はねぇぞ」
「損もなにも! 牛は追うもので追われるものじゃないですよ! ねえ?」
 子供は半分涙目で、助けを乞うように当たりを見渡した。僕は目を伏せる。神父は腕組みをほどき、静かに語りかける。
「ランポウ、放蕩息子の話を知っているか? 裕福な家の子供が家を出て……」
「知ってますよ!」
 生憎、返事は金切り声だった。
「すかんぴんになってブタの世話しながら後悔して、家に帰ってお父さんから牛もらう話でしょう? そりゃオレ家も出ましたし帰れば牛ももらえますけど! でもそれ牛舎に飛び込んだ挙げ句牛に追われる話じゃないし…っていうか、オレもう悔い改めまくりですよ!」
 うわーん家に帰りたいー! という子供の叫びはジョットの声にうち消された。
「というわけだ。作戦を変更する。
 決行は明日晩。一番槍はランポウ。火事じゃないからな、集落に残るものが出てくるはずだ。ナックルは配置を変更して集落のフォローを。代わりにアラウディ、」
「北壁の掃討なら引き受ける。一番街道に近いからね。馬鹿騒ぎが終わったら帰らせてもらうよ。」
 馬鹿馬鹿しくて付き合いきれないと言ったのに、ジョットは楽しそうに表情を緩めた。
「ああ。助かるよ。じゃあ、あとは……」
「あとは、ナックルの抜けた西にお前が入れ、ジョット。雨月は東、オレは南だ」
 刺青の男が地図を指して言った。
「雨月一人じゃ、軍のやつらにゃ話通じねぇしな。なにかあったらオレがフォローに入る。できるだけ南に追い込め。北にはやるなよ、こいつは当てにならねぇ」
 刺青は無遠慮に僕を指差し、東洋人が苦笑いした。
「ああ、心得た」
「それからジョット、」
「わかってる。無理はしない無茶もしない、これが終わったら部屋にかえって休む」
 一瞬、二人の視線が交錯し、刺青の方が折れた。
「ならいい。じゃあ、これで決まりだな」
 刺青の男の一言で、各々は席を立った。がたんと椅子を引く音が響く。
 僕は足早に部屋を後にした。神父も東洋人も、それぞれ自室に戻るようだ。
 ジョットだけが立ち上がらず、のんびりとカップに口をつけていた。テーブルに肘を突き、ぼんやりと地図を見て。
 背後で、ふっとジョットが笑った気配がした。刺青の男の不思議そうな声がする。
「どうした? ジョット」
「いや。おまえ、またオレの右隣だな、と思って」
「はあ? 偶然だろ、そんなの」
 背後でドアが閉まっていく  その時。
 ワンテンポ遅れて、子供が悲鳴をあげたのが聞こえた気がした。
「……って! ちょっと待ってオレは?
 不法侵入の牛泥棒でしょう!? 捕まっちゃうよ、村の人から袋だたきだよ?
 ちょっと、あの、ねえ! オレはっ!? フォローなし!?」







これが、ちょうど2年前の話だね。本当に、思い出しても馬鹿馬鹿しいよ。
……ああ、そうだね。なんでそこで話をやめるんだって思うだろうね。
でも、僕はこの続きを知らないんだよ。僕は予定通り北壁に布陣していた北軍を散らして、すぐに次の任務に向かったから。その後の情報で、その村は南軍でも北軍でもなく第三勢力の傘下に入って、今ではその村を中心に、あの一帯は平定されていると聞いているけどね。
落ち着いているのならそれでいい。僕は連中の動向には興味ないんだ。
……え? それならなんで僕がこの鉄道に乗っているのかって?
ああ、君もしつこいな。そうだよ、当たりだ。
なんなら見るかい? 「第三回ボンゴレ式真冬の牛追い祭り開催のお知らせ」。君も持っているだろうけど。
仕方がないだろう、あの子供に泣きつかれたんだ。
結局あの連中、あの子供に3年連続真夜中に牛舎でフライパンを打ち鳴らさせるつもりなんだ。
まったく、どうしようもない連中だよ。
作戦と遊びの区別もつかないし、女と子供に気を遣う事さえもできないんだ。
君もマフィアなら、ジョットやその周りの連中に興味を持ったり、関わり合いになろうなんてことは考えない事を勧めるよ。あの連中、本当になにをしでかすかわからないからね。
……え? 例えば?
ああ。そうだね。例えば……偶然列車で乗り合わせただけの男を、牛追い祭りの牛の追い出し役に仕立てあげたりとか、ね。





10.04.01.
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