The Day Before Break



 げ、もう来たのかよ。
 おい、オレはそのうち気が向いたらって言ったはずだぜ?
 ……あー、ったく。わかった話すよ、しかたねえな。


 ガキのころ、溺れた話はしたよな。
 その後は……話すような出来事なんてあったか? ジョットの熱も、あの時は一日で引いたしな。
 うちの島に特別な事なんてそうそう起こりゃしねぇんだよ。だから、こんなに話がややこしくなったのは……そうだな、やっぱナックルと雨月が初めてうちの村に来た時か。
 そん時はオレは17で、親父の仕事を手伝うようになって数年経っていた。ああ、ちょうど例の新航路ができたころで、親父は隣島のやつらと組んで海運を始めてたんだよ。まあ手伝うっつっても表に出るのは親父で、オレは留守番みてぇなもんだったんだけどな。
 ジョットは、オレの家を出て別な家で暮らしてた。
 うちの港は入り江みてぇになってて、海に向かって右手の岬のほうが高くなってんだ。そのてっぺんに一軒、家があったんだよ。風読みの家って呼んでたけど……まあ、灯台みたいなもんだな。オレたちがガキのころは誰も住んじゃいなかった。そこに、15になったときに、ジョットは一人で移り住んだ。
 だから、あいつらが来たのは、ジョットがうちを出て半年もしないころだったんだ。
 オレはそのころ、あいつがちゃんとやってるか気になって、手の空いたときにはジョットのところに顔を出すようにしてた。……ああ、そうだな。そのころじゃなくて今もだな!
 ったく、いちいち揚げ足取るんじゃねぇよ、話すのやめるぞ?
 …………そう、わかりゃいい。


 で、あの二人が初めて来た日だ。その日もオレはジョットの家にいて、そうしたら、知らない船がうちの港に向かってくるのが見えた。
 親父は家を空けてたから、オレが浜に降りることになった。そうしたら珍しく、ジョットが一緒に行くと言い出した。
 珍しいんだよ。あいつ、その頃はまだオレの後に隠れてばっかで、出歩くようなタイプじゃなかったんだ。まして得体の知れないよそ者が来たときに、自分から行く、なんて。そん時も、変だとは思ったんだけどよ……多分、あいつにはわかってたんだろうな。今にして思うと。
 ともかく、オレたちは桟橋まで船を迎えに出た。3人乗るのがせいぜいの小さい船だったからまさかとは思ったけど、一応、用心に武器を持って。
 最初に船から降りてきたのは、黒髪の神父だった。そう、ナックルだ。
 っ、ははっ。今思い出すと笑っちまうな、あいつ、あん時きっと必死で『いかにも神父らしい振る舞い』ってのをしてたんだぜ? 『普通の神父様』に見えたのはあの時だけだったな。……ま、それはともかく。
 ここいらじゃ、よそ者は神父だろうとなんだろうと、上陸許可が下りるまで勝手にしない決まりだ。ナックルはしかめっ面して突っ立ってて、オレは上陸者が何者か問い質そうとしてた。
 そん時だよ、もう一人の船に乗ってたガキが突然立ち上がって、船の舳先から桟橋に駆け上がって、ジョットの腕を取って聞いた事ない言葉で大声出したんだ。オレは慌ててそいつの襟首を引っ掴んだ。





「てめ、何やってんだ放せ!」
 怒鳴りながら引っ張ると、その妙な男はオレを振り返り、ぱっとジョットから手を離した。
「平気か? ジョット」
「あ…、ああ。うん、何ともない。……驚いた」
 ジョットの無事を確認して、オレも男から手を離した。
 妙な男だった。仕立てのよさそうな服をきて、黒髪もきれいに刈り揃えられている。確かに成りは真っ当だった。けれど、どう見てもこの辺りの人間じゃない。
 男は見た事のない顔立ちをしていた。話で聞いたトルコの連中とも、インドの人間とも違うように見えた。
「突然すまない」
 謝ったのは、神父の方だった。
「非礼はオレが詫びよう。許してやってくれ、彼は東洋からきて、このあたりのしきたりをわかっていないんだ」
 オレたちの島に教会はない。月に一度、隣島から神父がやってきてミサをするが、この神父は見ない顔だった。年齢はオレより一回り上に見えたが、親父が留守にしている以上、この場を仕切るのはオレの役目だ。オレは神父に向かって声を張った。
「なにもんだ、あんた。次のミサは来月のはずだぞ。何しに来た?」
「オレたちはローマからの使いのものだ。証書ならここに。騒がせてすまないが、オレたちは人を探して……」
 そこで、神父が言葉を切った。男が片手を上げて制したのだ。
「なんだ? 雨月」
「もう、見つかった」
 雨月と呼ばれた男は、そう言うとくるりとジョットに向き直った。
 にこりと人好きのする笑顔を見せる。素直そうな表情に、オレはその妙な男がジョットとあまり変わらない年だろうと考えた。
 ぺこりと一度頭を下げる。そして、満面の笑みを浮かべたまま、男は再び口を開いた。
「やあ、えらいすんません。なんや嬉しゅうて、つい取り乱してしもうた。堪忍してや。自分は雨月いいます。うちのお姫さんの頼みで、インドの向こうの中国の、そのまた向こうの日本ゆう国から、あんたを捜しにきたんよ」
 ……もちろん。
 オレとジョットが絶句したのは、男が話した内容のせいではなく、『てめーはどっから来やがったんだ』というぐらい古くさく形式張った訛りで、しかも流暢にイタリア語を話したから、だった。





 ……え? いちど聞いてみたかった? 雨月のあのイタリア語をか?
 はは、簡単だぜ。ワインの2本も飲ませてみろよ。今じゃ、すっかり治りましたってぇツラしてるけど、すぐにボロ出すぜ。試してみろよ。
 ああ、でも、あんまりからかい過ぎんなよ。あいつ臍曲げたら最後、ジョット呼んでこねぇと機嫌直さねぇからな。オレは……、一週間ぐらいだったかな。やりすぎてシカトされまくったのは。


 雨月が、何の用があってジョットを探していたのか、オレは随分後になるまで知らなかった。
 ナックルの持ってた証書は本物で、ローマからの使いを邪険にするわけにはいかないから、二人はしばらくオレの家に泊まることになった。翌日には親父が帰って来て、親父はローマからお出でになった神父様のご接待。オレは親父の代わりに浜に出て仕事。その間に雨月からジョットへの用事とやらは終わっちまった。更にその翌日にはオレが二人を隣島まで送っていくことになってまた一日潰れて、ジョットに会えたのはその次の日だった。
 そりゃもちろん、送っていく船で二人に探りは入れてたさ。けど結局、何の用で『日本』とかいう遠い国から雨月がジョットに会いにきたのか、それはちっともわからなかった。ナックルは親父の歓待に付き合わされてぐったりしてたし、雨月も内緒だとしか言わなかったしな。聞き出せなかった。それになにより、オレが、会ってジョットに直接聞けばいいと思ってたんだ。ジョットがオレに隠し事するはずがない、と。
 あの時はまだ、ただの好奇心だったんだよな。そうだな、もし……あの時、オレが無理にでも、何でジョットに会いにきたのか聞き出しておけば、こんな事には………………ああ、クソ!
 やめだやめ! 言っただろ、気が向いた時に話すって。
 気が変わったんだよ。こんな事考えてたら酒が不味くなっちまう。
 そうだ。今度はお前がなんか話せよ。恋人でも家族でも、何でもいいぜ。そいつが面白かったら、続きを話してやる。
 また今度、気が向いたらな。




10.04.02.
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