薄紙の火はわが指を少し灼き、01



 三月になった。
 けど、春の気配なんてまだまだ先だ。朝とか体育とか寒くて死にそうだし、春も春休みもずっと遥か彼方。
 その前に終業式があって卒業式があって、あれ、了平さんはともかく雲雀さんて今年こそ卒業するのかな? なんて疑問があって……、
 いや、オレこれは結構大問題だと思うんだ。だって、来年一年間のオレの平和がかかってるんだし。でもリボーンに言ったらつまんねーこと言って目ェ逸らすな、ってアゴを蹴り上げられるんだろうな。
 そう、春なんて遥か先。
 目の前には最優先の超大問題、学年末試験が待ち構えていた。
 この一年はダメツナのオレにしちゃ結構頑張った、ような気がする。けど実際は、自分史上ダントツにぶっちぎりで学校をさぼりまくった上に、授業中もよく寝てたので、いつにもましてさっぱり。教科書がなんてチンプンカンプン。ページを開いた形跡も、それどころか寝ぼけて書いたんだろう謎のシャーペンの落書きまであるのに、内容は、さっぱり記憶に無い。理解? とんでもない!
 …………さすがに、まずい。
 リボーンに何されるか以前に、ヒトとしてマズイ。
「勉強、しなくちゃなー……」
 ぽつりとオレは呟いた。昼休みの教室で、さっき電源を切られてしまったヒーターに寄りかかって身体を温めながら。隣にいる獄寺君の事をすっかり忘れて。
「でしたら!」
 声が弾けて、オレは自分の失敗に気がつく。そのときには、獄寺君はとっくにオレの正面に回って膝をついて、オレの視界のど真ん中を占領していた。
「オレが! お手伝いいたします、10代目!」
「え? いや、えっと……」
 オレはオート制御で断ろうとした。自己防衛本能みたいなものだ。だって、獄寺君の申し出に『うん』なんて言ったら、きっと血を見る。
 と同時に、リボーンから一年間分×7教科みっちりしごかれるのと、一応成績優秀なクラスメイトである獄寺君から教わるのと、どっちがましなんだろうと考えた。
 うわあ、恐怖の二択。どっちもイヤだ。遠慮したい。
 だけど、どっちを選んでもどうせ勉強することになるんなら……?
 だったら、自分から買ってでる災難の方がまし、かもしれない。
「えっと、じゃあ……お願い、しようかな。」
 イイデスカ、とオレが契約書にサインする前に、獄寺君は満面の笑みを浮かべてガッツポーズした。
「任せてください!! テストまでまだあと二週間あります。みっちりやれば、必ず終わるはずです!」
 あ、やっぱ早まったかも!
 オレは後悔した。
 のどかでうららかな春の前に、オレは自分から灼熱の夏を引き当ててしまった。



 それが、月曜日の話。
 それ以来毎日、オレと獄寺君は寄り道もせずにまっすぐ家に帰ってきて、テレビもゲームも無しでずーっと勉強している。休憩は、晩ご飯の時ぐらいかな。一階に下りて、みんなでわいわい飯食って、そしたらまた二人で勉強。獄寺君が帰るのは夜の10時か11時ぐらいだ。
 二日目で、泊まっていけばと母さんが言い出した。うちは人の出入りが激し過ぎて、カンカクが麻痺してるんだ。
 獄寺君はそれを固く断って、毎日『晩御飯ごちそうさまでした』って身体を90度に折り曲げて挨拶して、家に帰る。で、翌朝、やっぱり玄関の前で待ち構えていて、一緒に学校へ行って一緒に帰って来る。
 獄寺君はオレの部屋の隅に鞄をおろす。
 マフラーはもうしていない。制服のブレザーだけ、脱いで畳んで鞄の上に載せて、それから「じゃあ10代目、今日はコイツを片付けましょう」って、新しい問題集を出してきたり、前の日にどうしても分からなかった問題の別な解き方を教えてくれたりする。
 いつ寝てるんだろうとか、自分の勉強はいいのかなとか、思うことはいろいろあるんだけど、やっぱり一番の特筆事項はリボーンについてだ。
 一日目、リボーンは黙ってオレたちが数学の教科書はさんで向き合っているのを見ていた。二日目は何回か部屋に顔を出した。三日目から、リボーンは全然オレの部屋に現れなくなって、代わりにビアンキの顔にゴーグルがかかった。
 コレは、意外な展開だった。
 だって正直に言うと、オレは、まさか普通にテスト勉強できるとは思ってもいなかったんだ。
 当初の予想はこんなかんじ。例えばリボーンがオレのあまりのできなさに魚雷か地雷でも持ち出したときに、獄寺君がいたら一応助けてくれるんじゃないかな、とか。そうじゃなきゃ逆に、獄寺君が突っ走りかけても、リボーンがいれば大人しくなるんじゃないかな、とか、そんなの。どっちにもならずに二人揃ってとんでもないコト始めたとしても、それはいつもの事だからあきらめよう。オレの予想はそんなもんだったんだ。
 まさか、獄寺君につきっきりで教えてもらうことになるとは思ってもいなかった。しかも、こんなに普通に平和に常識的に。
 平穏すぎて逆に不安になって、晩ご飯を食べながら、オレは小声で確認してみた。
「なあリボーン。お前、オレの家庭教師、だったよな。」
「そーだぞ。」
 今更何言ってんだって口調で答えながら、リボーンはテーブルの上をホフク前進してきたランボをぺいっと蹴っ飛ばした。ランボはポーンっと宙に舞う。手からお子様スプーンが落ちて、ころころとグリーンピースが転がり出す。
「オレは、格下は相手にしねーんだ。」
「いや、知ってるけどさ……」
 あーあ、ランボのやつ、自分がグリーンピース苦手だからってリボーンの皿に入れようとしてたな。
 まったくもー、好き嫌いするなって言ってるのに、聞かないから。
 『格下』ことランボはまだ宙を飛んでいて、ひゅるるると頭から落ちていくところだ。
「それは、仕事も同じだ。」
 ごちん。
 飛んでったランボは獄寺君にあたった。
「っテェ……おい。てめぇ、アホ牛……!」
「ラ……、ランボさんが悪いんじゃないんだもんね、リボーンのアホがー!」
 あちゃあ、喧嘩になりそう。
 それをフゥ太がキラキラした目で見ている。
 いや、止めようよ、フゥ太。食卓で新技は出ないから。多分。それとも連敗記録でもつけてるのかな。
「オレがわざわざ手を下すまでもねぇ仕事は下っ端にやらせりゃいいんだ。」
 あ、獄寺君、ランボを殴った。
 ベシャア、と、ランボがテーブルに顔をめり込ませる。はい、一ラウンド目終了。
「が、ま……」
 涙でべしょべしょになりながら、ランボが立ち上がる。ちっこい手をもじゃもじゃ頭に突っ込んで、秘密兵器を取り出そうとする。
 そんで、大人ランボが出てきて二ラウンド目、っと。
 いつものパターン。さあ、今日こそ止めなきゃ、この騒動……
 会話を打ち切って、オレは立ち上がる。けど、今日はそれより先に、ひゅっと黒い影が視界をよぎった。
 リボーンだ。鋭い蹴りは突き刺さる矢の様にランボにクリティカルヒット。10年バズーカがはじき飛んで、ごろん、と床に転がる。
 セーフ、本日は不発。
 かわいそうなランボは再びテーブルに沈められ、ぴぎゃーっと元気な泣き声がリビングに響く。
 おお、強制的に二ラウンド目も終了。いつもはここまで20分はかかるのに。
「おい、獄寺。」
 ランボの頭の上からポンと飛び降りて、リボーンが言った。
「お前もいつまでもこんな下っ端と遊んでないで、とっととツナを仕込みやがれ。」
 …………え、うそ?
 オレは耳を疑った。
 か、家庭教師のくせに勉強を教える部分をヒトに任せるなよ!!
 オレの突っ込みなんて届くはずも無く、獄寺君は、両手を握りしめてフルフルと震えて……更に気合い入っちゃったのは言うまでもない。



 そして、本日五日目、金曜日。
 オレは、ちょっとぐったりしてみえたらしい。
「ツナ、お前どーかしたのか?」
 放課後、補習の漢字の書き取りの最中、山本が小声で話しかけてきた。獄寺君は屋上で待っている。三月でも、まだ夕方は寒いのに。
「寝不足か? ゲームにでもハマった?」
「残念、はずれ。」
 山本の予想通りだったらどんなによかったか。オレは、オレの部屋のテレビの上のコントローラーが恋しい。
「ちょっと、べんきょーしてるんだ。獄寺君と。ホラ、テスト近いから。」
 へぇ、と山本は呟いて、それから、ああそれで、と笑った。
「変だと思ってたのな。獄寺、なんかここんとこタバコの匂い薄いのに、休み時間に吸う量増えてるから。どーなってんのかと思ったら、ツナん家で禁煙してるのな。」
 山本は、凄い。
 オレは、言われて初めて気がついた。そう言えば、この五日間、勉強用に使っているあのテーブルにタバコの吸い殻が載った事は一度も無い。オレはべちゃんとプリントの上に突っ伏した。
「ん? どーした?」
「……うん。なんでもない。」
 それに比べればコレなんて、なんでもないこと、の、はず、だ。
 ああ、ゲームしたいなんて、口が裂けても言えない。



 言えない、けど。
「じゃあ10代目、お次は国語の現代文です!」
 元気よく獄寺君が新たな教科書を取り出したので、オレは声にならない悲鳴を上げる。
 ひいぃぃぃっ!
 ジョーダンじゃないよ。時計だって、もう23:45とか言ってるよ?
 いつまで続ける気? ってか、寝かせないつもりかー!?
「ちょっ! ちょっとオレ! トイレ!」
 立ち上がると隣でプリントの山が崩れた。
「うわっごめん!」
 オレが謝るより先に、
「いえ、オレ拾います。」
 獄寺君は身を屈めた。
 獄寺君はいつもはダルそーにしている。けど、動くと速い。で、腕も手もオレより長くて大きい。
 だから、オレがワタワタ拾っているうちに、散らばったプリントはほとんど獄寺君に回収されてしまった。
 それでも、オレがどうにか拾えた三枚を獄寺君は笑顔で受け取る。
「すみません、10代目。お手を煩わせてしまって。恐縮です。」
 トン、とテーブルの隅でプリントの束を整える。
 なんだかプリントには順番があったみたいで、獄寺君は、片隅をぺらぺらとめくっては手早く抜き取って、差し戻してを繰り返す。手伝うスキがなくて、オレはぼーっとそれを見ていた。不意に、獄寺君がその手を止めて、こっちを向いてニコぉっと笑った。
「10代目、御休憩どうぞ。オレはここ片付けときますから。」
「あ、うんじゃあ。獄寺君も無理しないでね。」
「ありがとうございます、10代目。このくらい平気っス。」
 そしてバタンとドアを閉めてオレは四時間ぶりに部屋から出た。



 ……疲れた。
 思わず、オレはドアの真ん前でしゃがみ込む。
 獄寺君は、悪気はないんだ。
 なんて言うと、無理して弁護してるみたいで、この言い方はきっと正しくない。
 獄寺君は、オレのためにやってくれてるんだ。
 うー。これじゃますます嫌がってるみたいだ。
 おかしいだろ? だって、一応確かにオレから言い出して、オレから頼んだんだから。
 獄寺君は、ちょっと気合いが入りすぎちゃってるだけで、ちょっと空回りしてるだけなんだ。
 で、オレがちょっと勉強にあきただけで、オレが先に疲れちゃっただけ。
 そう。オレは勉強が嫌いなだけで……。
 なぜか、結論より先にため息が出た。
 獄寺君のことが、嫌いなわけじゃないんだ。
 ……たぶん。
 数学の公式と歴史の年号が頭の中でくらくらしてて、なんだかわかったようなわかんないような気分だから、自分の心までわからなくなってくる。
 ともかく、休憩にしよう。気分転換。
 目を閉じて、深呼吸一つして、オレは立ち上がった。



 廊下は真っ暗だった。うちはチビが多いから夜が早いんだ。
 っていってもちょっと昔、リボーンが来るまでは、オレはゲームとかマンガとか一人で夜更かししまくってたんだけどさ。
 オレは、ちょっと変わったと思う。
 トイレに行って、なんだかまだ部屋には戻りたくなくて、オレは一階に下りた。
 なんか飲み物とお菓子でも持っていこう。それで、ちょっと休憩にしよう。獄寺君だって、疲れてるんじゃないのかな。なんかつまんない話がしたいな。勉強じゃなくてさ。
 そう思ってリビングのドアを開けたら、まだ母さんが起きていた。
 しかも、パジャマの上にカーディガンを羽織って、その上更にエプロンを付けるところ。こんな夜中に、鼻歌まじりで。
「フフン、フー……? あら、ツッ君。」
 ……あら、ツッ君じゃないよ。
「何やってんの、母さん。こんな時間に。」
「なにって、頑張ってるツナと獄寺君にお夜食の差し入れ。ね、ホットケーキでいいかしら? 飲み物はココアにする? それとも紅茶かコーヒーのほうがいいかしら。獄寺君、甘いもの苦手だった?」
 うわ。しまった。母さんはご機嫌だ。
「いっ、いらないよそんなの! ポテチとアクエリアスでじゅーぶん!」
「そんなぁ。だめよ。育ち盛りの男のコなんだから、もっとちゃんとしたもの食べなきゃ!」
「いらないってば!」
 なんだよもー。出来立てのホットケーキとココア持って獄寺君トコ行けっての?
 じょーだんじゃないよ、はずかしい。来てるのが山本ならともかく!
 戸棚を開けてスナック菓子を引っ張り出す。冷蔵庫からは適当にペットボトル。
「とにかくもー、母さんは先に寝てて!」
「あら、まあ。」
「母さん!!」
「はいはい。」
 肩をすくめて生返事して、母さんはお盆にコップ二つとお手拭きを載せた。
「はい。お部屋汚しちゃダメよ?」
「……わかってるってば。」
 しつっこいなー、もー。
「それじゃ、母さん先に寝ちゃうけど、お勉強がんばってね。」
「はいはい。おやすみ。」
 お盆に山盛りに載せて、オレは二階に戻る。落とさないよう気を付けて、ゆっくり階段を昇る。その途中、
「ねぇツッ君。」
「あーもー、今度は何!?」
 振り返ると、リビングのドアを半分開けて、母さんがまだこっそりこっちを見ていた。
「今日は獄寺君泊まっていくんでしょ? 明日は学校お休みだし。お風呂使っていいって言ってあげてね? パジャマはツナのでサイズ大丈夫よね。お布団だけ、お客さん用の持っていこうか?」
 ……だからさあ!
「いらないってば! オレもう中学生だよ? 幼稚園のお泊り会じゃないんだから!」
 思わず大きな声を出したら、母さんは笑った。
「そーね。ごめんね。じゃ、おやすみなさい。」
「……おやすみ。明日朝からお好み焼きとかしないでよ?」
 ニコニコ笑いながら、母さんは自分の部屋に引っ込んだ。
 不安だ。すっごく不安だ。なんなんだろう、うちの家族。
 父さんも父さんだけど、やっぱ母さんも母さんだ。
 恥ずかしいなあ、もう。
 思わず大きい声出しちゃったけど、獄寺君に聞こえてたらどうしよう。
 どーか聞こえてませんように!



 お祈りしてから、オレはそっと部屋のドアを開けた。
「ごめん、獄寺君、お待たせ。実は母さんがさあ……」
 と思ったら、獄寺君の姿が見えない。
 あれ?
 オレはきょろきょろ辺りを見渡す。
 テーブルの上には教科書が山になったまま。シャーペンがはさまれて膨らんだ問題集と、積み直されたプリントの束。座ってたままの形に潰れたクッション。
 あれ? ベランダで煙草でも吸ってるのかな。
 そう思ってオレはテーブルから目を逸らした。ら。
 居た。
 嵐の元は、オレのベッドの上に。
 ヒトの気も知らずに。
 …………寝てるし!




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