昼は消えつつ、ものをこそ思へ03 「……ヒトの事言えないけど、獄寺君も、最近随分ふてぶてしくなったよねぇ?」 間近で声がして、オレは目を開けた。 『目を開けた』? まさか、本当に眠っていた? 階段を上る足音を聞き逃した? あんなに気をつけていたのに? オレは慌てて身体を起こそうとして、 「うりゃっ!」 ふざけた調子で飛びかかってきた10代目に両肩を押さえられて、再びベッドに倒れ込んだ。 「電話はやっぱり母さんからでした。」 ベッドの上で、オレに馬乗りになった10代目が報告する。 「おみやげ、雁屋のシュークリームだって。」 「あ! はい。それは、ええと……」 つい、途中から生返事になる。 なんにしろ、まずは、起き上がんねーと…… と思うものの、10代目を振り払っていいのだろうか。どうしたものかと考え込んだら、沈黙は別の意味に取られてしまったらしい。 「遠慮しないでよ。もちろん、獄寺君の分もあるよ。チョコかカスタードか生クリームだって。それと、晩ご飯も一人前増やしてくれるように言っておいたから。獄寺君、食べてくでしょ?」 「え? ええ。ありがとうございます、10代目。でもあの、」 『降りてください。』 言いながら逃げ出そうと身を捻ったが、 「やだ。」 逆に、ぎゅうと肩に体重をかけられた。 10代目の身体はオレの上から退くどころか、ゆらりと一瞬揺れただけだ。そのせいで、ネクタイがぺろんのオレの目の前に落ちてきた。 「あ、ごめん。」 と、言ったものの、10代目は手を放してくださらない。目と鼻の先、というか、正確にはオレの口元をネクタイがくすぐる。まさかそのままにしておくわけにもいかないので、オレは10代目のネクタイを外そうと手を伸ばす。肩が押さえつけられているのでやりづらい。 「……そんなわけでね、電話から仕入れた情報から推理すると、シュークリームはもう買ってあるんだよね。で、あれは生ものだし、チビたちはすぐに食べたがるだろうから、もうそろそろ帰ってくると思うんだ。」 そうか。電話が駅前からなら、あと20分と言ったところだろうか。 ネクタイは、まだ外れない。思ったより結び目が固い。 「でもね、獄寺君が来てるって言ったら、母さんごちそう作る気満々で、で、冷蔵庫の中も確認したんだけど材料は足りなさそうなんだよね。だから、晩ご飯の材料を買ってから帰ってくるかもしれない。」 なら、残り時間は後一時間弱になるだろうか。あ、やっと結び目に指がかかった。 「でも、お昼前から出かけてたチビたちの体力が持つとは思えなくて、母さんだけ別行動になるかもしれない。で、その場合ランボとリボーンが一緒に行動するとは思えないから、リボーンは母さんについていって、で、リボーンにはビアンキがついていくだろ。だから……」 ついにネクタイが解けた。抜き取ると、10代目の襟元から細い衣擦れの音がした。 「一番あり得るのはさ、フゥ太とランボとイーピンがシュークリーム持ってあと30分以内に帰ってくるから、そしたら、オレたちあいつらのおやつの面倒見なきゃ。」 困ったよねぇ、と、相変わらずオレの顔の真上30cmの位置をキープしたまま、10代目は笑った。 「どーしよっか。」 「どうしようって……」 丸く畳んだ赤いネクタイを手に、オレは返答に窮する。 「そもそも、10代目はどーなさるおつもりだったんスか?」 オレを、家に呼んで、部屋に招き入れて、しかも今はこんな体勢で。 「どーもしないよ。」 10代目はくすくすと笑う。 「ただ、一緒にいたいなって。だから呼んだんだ。それとも、なんか期待してたの? 獄寺君。」 『ごくでらくん』 最後の言い回しがひどく楽しそうで、オレは返事に詰まる。ぎゅうと身体の奥が締め付けられて、いっそ胸郭に痛みまで感じる。 いつからだろう、オレはもう完全にこの人の手の上だ。 『期待してた?』 『してません。』と言ったら嘘だし、このまま後3cmでも近づかれたら、あっという間に『してしまう』になる。オレの目はとっくに勝手に、白いシャツの向こうの肩のラインを追っている。 マジで、情けない。いつの間にか瓦解しているオレの理想の右腕像。 「……ところで、この体勢。結構腕が疲れるなぁ。支えるのやめようかなあ。」 (……ふあ……!) オレは声にならない悲鳴を上げる。 ちょっと待ってください、10代目。あと30分てご自分で仰ったじゃないスか! オレ、学校帰ってきたまんまだし、制服だし、つか……。 赤くなった顔を、10代目は絶対ご覧になったはずだ。ふっとやわらかな息を吐いて、肘を折っていく。 顔が、ゆっくりズームしてくる。堪えきれず、オレは目を閉じる。前髪がちくりとオレの額に触れた。そして、ひりひりするラインを一筋刻んで、オレから離れていった。 「……へ?」 ぱちりと目を開けると、見えるのは天井で、10代目はオレの上にはいなかった。肩ももう重くない。でも、起き上がると、また押さえ込まれるかもしれない。 オレは寝転がったまま身をよじった。壁の反対側に目をやる。10代目は、ベッドから降りて床に座って、オレの顔の真横で頬杖をついていた。 「信用ないなあ。だから、何にもするつもりはないって言ってるだろ?」 そうして、頬杖も外して、オレのすぐ隣で、ベッドに顔を預ける。お互いベッドに頬をのせて見つめ合う形になる。 「本当に、ちょっと一緒にいたかっただけ。ちょっとでいいから二人でいたかっただけ。なんなら、獄寺君眠いんなら、使っていいよ。オレのベッド。」 「とっ、とんでもないです! 恐れ多いっス! オレなんて床で十分です!」 「……とか言って、寝てたくせに。」 「それはっ、そのっ……!」 「それに、いつまでもそんな体勢でいると、また面倒なことになるよ?」 人差し指が、下半身を指す。 オレは、今度こそ、内側から弾け飛ぶんじゃないかってくらいに頬が熱くなるのを感じた。その頬に、10代目がまた手のひらを重ねてくる。穏やかなあたたかさが、逆に冷たくて心地よい。 「……とっくに、もっとすごい事もしちゃったのに。」 で、また体温が上がる。 「……じゅーだいめぇ……」 「ははっ。ごめん冗談。ほんとに、何にもしないから。寝てていいから。今更、ゲームでもしよーかって気分でもないだろ?」 温かな手が、オレの頬を撫でる。シーツから、部屋中から、その人のにおいがする。 抱かれているみたいだ。この世の誰よりも、どんな思いよりも、優しいやり方で。やわらかな腕で、あたたかな胸で。手を伸ばす必要もないぐらい、いちばんいちばん近い場所で。 ついに観念して、両膝を引き上げて、オレはベッドの上で丸くなる。目蓋が勝手に落ちてくる。頬に触れているその人の手が、ゆっくりとオレを撫でて、髪をかきあげて、その甘ったるいくすぐったささえあれば、他に何もいらない気がしてくる。その人がそこにいて、その人のにおいに包まれて、ここは安全だ。何の心配もいらない。足りないものなんてない。 オレはこれ以上、何もいらない。 大丈夫、目を閉じてもいい。 ここに、心の奥底に、静かに燃えている燠火がある。この人の身に何かあれば、風を送れば、息を吹き込めば、それはたちまち炎となる。この人を守る力になる。 だから、いまは……。 すぅ……と息を吐いたら、目蓋の内側の闇が、一段濃くなった。 「……、本当は、ね」 10代目の声が、どこか遠くから聞こえている。 「寝てていいって言うよりは、寝てて欲しいんだよね。……オレ、獄寺君の寝顔見るの、好きなんだ。」 夢、だろうか。 だとしたら、幸せなユメだ。 そう思う反面、声の存在感が、これは現実だと告げている。間違うはずもない、あの人の声だ。 なら、オレは幸せだ。 ここで、こうして眠る事が許されるのなら。そして、それが10代目の望みでもあるのなら。 オレは……、オレも、…… でも、心は声にならなくて、目蓋も開かなくて、そうこうしているうちに、また10代目に先を越されてしまった。 「……ねぇ。獄寺君、もう、寝ちゃった? やっぱり、キスくらいはしてもいい?」 ああ、それは……こまる。 ゆるゆると目蓋を開けて、かすかに口を動かした。 (だめ、です。) 「……どうして?」 頬に触れて額をなぞって、10代目が囁く。 オレの目蓋は、またゆるゆると落ちてきてしまう。 『どうして?』 それは、オレが、心の中に、 「……オレ、は……火を、飼ってるんです。……だから、」 額から、その人の指が離れた。 そうだ、こんな言葉で、伝わるはずがない。 だめだ。 ちゃんと。説明……しねーと…… もう一度、目を開けなくてはと、オレは眉間に力を込める。落ちてくる睡魔に競り勝つ前に、投げ出していた右手が取られて、宙に浮き上がった。触れているのは10代目の手だ。 「無理して、起きなくていいよ。」 それから、指先に、やわらかな感触。それは静かに二つに割れて、合間から差し出されたとろりとしたものが、そっとオレを舐めた。 あ……、と思う間もなく手首を返されて、今度は手の甲にキスを受ける。すぐにまた舌先が差し出されて、オレを舐め上げる。手の甲の中心、張り出した細い骨の上を、中指の先端へと。 あたたかく肌が濡れていく。離れた部分から、冷えていく。 満たされているような、切ないような、どっちだろう、わからなくなる。 クチュ、と水の音がして、肌を吸われる感覚があった。肌は、あっという間に乾いてしまっう。けれど、唇は、まだ触れている。 「……ねぇ、どうして、あんなことしたの?」 吐息が肌を濡らす。触れられて、舌先で何かを確かめるようになぞられる。胸が詰まって、泣きそうになる。 この感覚は、感情は、何なのかわからない。 けれど、あの時の気持ちは、はっきりと覚えている。 火が、燃えていたんだ。 熱くて、何も考えられなくて、そうせずには、いられなかった。 あなたに触れられない事が、ひどく悲しかった。 きっとこうして、永遠に届かないままなんだろうと思った。 どんなに手を伸ばしても、オレには届かない。永遠に、届かない。触れられない。 わかっているのに身体の奥で燃え上がる炎が抑えられなくて、ついに壊れて目の端から溢れたものが、なぜか涙だった。炎が水になってしまった。 ああ、あんまりだ。こんなのはあんまりだろ。 かなしくてなきそうで、その涙がまた炎を煽った。水のくせにオレの身体を内から灼いて、涙で身体が燃えるなんて初めて知った。止められなかった。どうしようもなくて、炎のなすがまま、上へ上へ。届かないと、触れられないと、わかっていたのに。 「……そうしたかったんです。」 そうするしかなかったんです。 まるで説明になっていない。けれど、これ以上の答えはオレにはなかった。 「……そっか……」 10代目は呟き、そっとオレの手をシーツの上に戻した。 「オレも、寝よっかな。チビたちが帰ってきたら、あいつら騒がしいからわかるよね。」 すぅと、今までの重さが嘘のように、目蓋が開いた。 目の前に、穏やかに微笑む10代目がいる。 「……チビどもだけじゃなくて、10代目の眠りを妨げるような奴は、オレが必ず、全力で排除します。」 「ほんとかなぁ。」 「ほんとうです。ぜったい、えいえんに、ですから。」 まるで信じてない顔で、10代目はくすくすと笑って、目を閉じた。 けれど、オレはもう、目を閉じなかった。 あなたは疑うかもしれない。 けれど、 でも、これは、 本当に、永遠に、絶対だ。 オレは、心に火を飼っている。 どんなに穏やかな水に満たされても、 目も眩むような光の下でも、 決して消える事なく、静かに燃え続ける燠火だ。 たった一人、あなたのために燃え上がる炎だ。 あの日から、オレは、心に、火を飼っている。 みかきもり 衛士のたく火の夜はもえ 昼は消えつつものをこそ思へ おしまい。 backIndex .08.03.28 |