おひるどき☆しゅーてぃんすたー 「頼む、京子、スマン、この通りっ!!」 金曜朝、笹川家正門脇にて。 笹川了平は妹、京子に向かって深々と頭を下げていたりする。 「頼むから、このとーりっ!!」 「お兄ちゃん。そう言われても私……」 「オレだってどうにかしたいが無理なものはもう無理なのだ。頼むから、受け取ってくれ!!」 「気持ちはわかるけど、でも……」 「そこをなんとかっ!!」 了平が頭を下げて京子に差し出しているのは、おにぎりだった。銀色のアルミホイルで包まれた、まんまるの。 並盛中学校は中学にしては珍しい昼食持参型だ。 で、ごく一般家庭の笹川家の兄妹は家弁派である。そんで、ごく一般的な母親である笹川家の母は体育会系中学生の息子に「なにはともかく炭水化物」の弁当を作ったりする。そこまでは、まあ、ふつうだ。 でも。 笹川了平は、根っからのボクサーだったりする。 「今週のオレの摂取カロリーはもう極限限界だ。だから頼む、引き取ってくれ!!」 「……うーん。コロネロ君は?」 「オレには糧食(レーション)があるぜ、コラ。」 で、普通な家の普通じゃない居候、コロネロは根っからの軍人で、赤ん坊でありながら完全自立型だったりする。 「もちろん、頂いたおにぎりは昼にありがたく食うし、麦茶も残さず飲むぜ。コラ。」 なのに、普通な家の普通じゃないはずの居候はそれでもなぜか普通に家族の一員として暮らしている。しかも当然のようにお弁当の配給を受け付けていたりする。軍人としては問題ないらしい。 というか、 「うーん。それじゃあ、コロネロ君はおにぎりもういっこは無理だよね。赤ちゃんだもんね。」 「だからどうかこいつを頼む! 一個だけでいいから、な!! 京子!」 というか、笹川兄妹の問題は、それよりおにぎり一個だったりする。 いや、おにぎり一個だろ。捨てちまえよ、んなもん。 なんて罰当たりなことも、どっかの不良じゃないので選択肢に浮かばなかった。 で、兄と妹というのは長い付き合いなので、今週一週間の食卓のメニューと今週末の予想されるメニューとさらに兄の自主トレメニューまで妹は把握していて、そのおにぎり一個が兄にとってどういうものなのかもよくわかっていた。 「いいか京子! そもそもボクシングというのは極限に己の肉体との戦いなのだ! 己の肉体との戦いとはつまり肉体を作り上げ、研ぎ澄ますことだ!! つまり極限に食うこととトレーニングだ! ボクシングはトレーニングのみで成り立っている訳ではない、食事すらボクシングの一部なのだ! 摂取カロリーと消費カロリーの極限なバランスによってのみ極限な肉体は……!!」 いや、本当は京子は了平のその極限に壮大な背景はちっとも理解していなかったりするのだけれど、それはともかく。 妹は兄にとっておにぎり一個がとてつもなく重いものらしい、ということは、なんとなーく理解していたりする。 昼食の量が多すぎる、という簡潔に言えば非常にわかりやすい了平の訴えが最終的に母に聞き入れられないのもよく知っているし、同時に、その兄の昼食が巡り巡った結果、京子が夕食で「今日はちょっと」と言っても、それはすんなり受け入れられてしまうこともよく知っている。 ついでにやたら怪我の履歴が長かったり、トレーニング漬けで家に居ない時間の方が長かったり、果ては夜中のロードワーク中に泥棒を見つけて捕まえて警察署からお電話が、なんてこともあったりして、兄は母に頭が上がらないらしいことも薄々感づいている。 おまけに、最近の怪我はいつもよりちょっと大怪我だし、夜間外出も増えた……ような気がする。 だから、笹川家のヒエラルキーでは兄は妹に頼るほかないのだ。 最終的には、いつもこうなる。 「もう。仕方ないなあ。」 「おお。引き受けてくれるのか! 京子!! 恩に着るぞ! ありがたい!!」 「じゃないとまたお兄ちゃん徹夜でジョギングするんでしょう。 そのおにぎりは私がどうにかするから、お兄ちゃんは無理しないでね。」 「うむ、任せておけ! なあに、そのおにぎりは沢田にでも渡しておけばいい。あの連中なら誰か食うだろう。では、オレは先に行くが、京子も気をつけてな! じゃあ、またあとでな!!」 で、了平は朝からロードワーク兼通学に出発する。わさわさ羽ばたく鷲にぶら下がった赤ん坊がその後について行って、京子はアルミホイルに包まれた大きなおにぎり片手にそれを見送る。 これが、結構よくある笹川家の朝の風景。 同じ家から同じ中学に通っているにもかかわらず、笹川兄妹は一緒に登校したことがない。 了平が朝のトレーニングがてら通学路を無視して町内を縦横無尽に走り回ってから学校に行くからだ。 京子は、兄妹というのはどの家庭でもそういうものなのだろうと思っている。 そして、自分が中学で見る兄は、いつも脇目も振らずに部活の人達やクラスメイトのツナ君達とトレーニングというものに励んでいて、お兄ちゃん楽しそうで良かった、なんて思っている。 それどころか、最近はコロネロくんが一緒だから、トレーニングって何してるのかお兄ちゃんには内緒でこっそり聞けるし、とちょっと安心し始めてさえいる。 なんかどこか違うかも、なんて、京子はちっとも思っていなかったりするのだ。 そんなわけで同日お昼。2-Aの教室。 「ごめんね、花。」 「いや、あたしは別にいんだけどね。」 笹川京子は兄、了平から引き受けたおにぎりを食べ、その向かい側では親友、黒川花が京子の弁当を食べていた。花が昼食にするつもりだった某大豆バーは、コンビニの袋に入ったまま机の脇に吊るされている。 「あんたそう言って、結局月に3回はそれ食べてない? いや、あたしは昼食代浮くからラッキーなんだけどさ。京子の家の弁当おいしいし。」 何を言っても言い訳がましくなるほど、京子の弁当は見事な女の子のお弁当だった。 小さめのお弁当箱の半分弱がご飯、おかずはクリームイエローの厚焼き卵と鮮やかなグリーンのほうれん草のバター炒め、それから控えめにブラウンの唐揚げ。一番目を引くのは真っ赤にかわいいプチトマトで、カラフルなふりかけは別添え。仕切りのカップがギンガムチェックなのはもう当然のことだ。常にこのレベルを保っているのだから、笹川母は完璧だ。 そう思って目を上げると、目の前で京子が食べているのはただの米粒の固まりだったりする。がんばって過剰装飾しても……、うーん。随分綺麗な球形ですね、ぐらいだろうか。 二人の付き合いが始まった最初の頃、『おにぎり一個だけ引き受けてきたからこうなっただけで、お兄ちゃんにもちゃんとおかずはあるんだよ。』と京子は言った。 長い付き合いで花は京子がそういうウソを使う子じゃないことは知っている。とすると、推測される笹川兄の中学男子の弁当は、クラスメイトの野球少年なら逆に喜びそうなものだ。 ホント、完璧なハハオヤだわ。 花はそう査定する。 逆に言うと、笹川家は、そこ以外すべてどこかズレているような気がする。 「例えばさ、あんたと兄貴の弁当、取り替えちゃえば良かったんじゃないの?」 「お兄ちゃん、おべんとうばこがピンクだから嫌だって。」 「…………そう。」 なんか変だと思うのだけれど、どこと指摘できないのがもどかしい。 あたしもまだまだだわ、と花は思う。 「じゃあ、兄貴の言う通り、本当に沢田に上げちゃえば良かったのに。」 ぽい、と言った途端、クラス中の女子の視線……の、80%ぐらいが花の背中に集まった。 当の沢田本人は教室にはいない。ついでに獄寺と山本もいない。そして、花の背中に集まっている視線は、実はほとんど沢田ではなく残り二人に起因する。 「えー……」 巨大おにぎりを半分ほどまで食べた京子がなんだか困ったような声を上げた。 (やだ、どーでもいいけど、このおにぎりほんとに具が入ってない。 まあ、文句も言わないあたり京子らしいけど。) 「ツナ君は………。」 三点ダッシュの沈黙のあとに「。」がついて、視線の半分ぐらいが背中から去った。 今回も空振りか、と。 (よかったねー、沢田……と、あと二人。今日もまだ回答保留だよ。) 花は屋上でキーキー言いながら食事をとっているだろう三人に呼びかける。 (ほんと、本人達はなんにも知らずにばか騒ぎしてるんだろうなあ。) この教室に於いて沢田綱吉と笹川京子の関係が一大関心事なのは、その二人だから、とか、恋愛沙汰だから、とか理由ではなくて、なぜか沢田が山本と獄寺とつるんでいるから、だった。 個人的な見解を付け足すと、花は、なんであの三人が、とは思わない。 山本と沢田と獄寺と、まるで接点なさそうな三人がなぜか始終つるんでいるのは、男子の側から見れば簡単に理由がつく。と、花は思っている。 三人とも、ともかく付き合い辛いのだ。 まずは獄寺。これは一目瞭然、やりすぎなぐらい近寄るなオーラを出している。ちょっと憧れてる男子もいるらしいけど、そいつらは「近づくな」に憧れているんだから当然近づかない。という訳でまず、輪から外れる。 次に山本。山本はああだから、確かに絡みやすい。けど、絡みやすいだけで、同等に同じ土俵で勝負しろと言われたら、普通の男子なら逃げ出す。なんてったって相手はあれでもウチの学校の男子の頂点だ。まともに付き合って敵う訳がない。 絡みやすいのと、付き合いやすいのは、ちょっと違うのだ。 そして最後の沢田は、山本の全く逆パターンだ。最底辺だからともかくいじりやすいけど、付き合えって言われたら、ちょっとなってところがある。 という訳で、めでたくクラスの男子のヒエラルキーのトップとビリと圏外が、三人仲良く屋上でじゃれている訳だ。 三人が、本当に気が合って付き合っているのか、それともなんとなく残り物同士寄せ集められてしまったのか、本当のところを花は知らない。 知らないけれど、どっちでもいーじゃん、と思う。 あの三人が固まっていることにはちゃんと説明がついて、花には他の女子みたいに『なんで沢田が?』と言う必要はない。 そこが重要だった。 ついでに言うと、クラスの他の女子は『なんで沢田が?』よりも『離れろ沢田!』の方が重要なようだ。 あの三人が、沢田を受け皿にくっついているのは明白だ。 要は沢田さえいなければ女子は山本にも獄寺にもアタックしやすい訳で、そしてクラスの他の女子は男子・男子的な付き合いやすさと男子・女子的な付き合いやすさは話が別だとか思っているようで、だから、クラス……どころか学校中の女子の運命を、目の前のなんとなくぽやーんとした笹川京子と言う女子が握っていたりするのだ。 まあ花にしてみれば『運命なんて大袈裟過ぎ、あんたら山本獄寺レベルでいいの?』という気持ちの方が大きいのだけれど。 このコはランクどこかなあ。 もぐもぐと兄のおにぎりを食べている京子を見ながら、花は考える。 顔はかわいい、性格も悪くない。沢田に限らず男子受けはいい。この辺は山本系。 でもどーっか浮いてるのよね。ついでに絶望的に鈍い。 山本沢田混合型かなあ。 ……って、それ、めちゃめちゃフツーじゃん。 頭の中に数直線を書いてy軸の天辺とドン底の中間地点を考えて、やっぱだめだわ、と花は答えを出した。京子がy軸の上にいるとは思えない。 じゃああたしは、どうかな。 小さなお弁当を食べ終えた花は、鏡を取り出して口の周りを確認する。 ついでにさりげなく顔のチェックもする。 センススタイル成績そのほか、全部客観的に中の上以上。 自分に憧れてる女子がクラスや下の学年にいるのも知ってる。自分が使い出したペンケースやマスカラなんかが、いつの間にか時折……、というにはいささか頻繁に、目にするものになることも知ってる。そういうのはダブった時点で捨てる。でも、勘違いもダサイから、自分の他に二人カウントしてから捨てる。母親の作ったお弁当なんて当然持ってこない。でも、そんなに取っ付きにくい訳じゃない。 ちゃんとはずして、ちゃんと収めてる。 まあ、獄寺山本混合型ってとこかな。 食べ終わった京子の弁当箱に、緑色の星みたいに残っているプチトマトのヘタをつっつきながら、うわあ、それってすごくダサイ、と花は思った。 それってつまり、自分は獄寺の方にも山本の方にも突き抜けていませんってことだ。てゆーか、方向性がある時点で、あたしはフォロワーだ。それは、ものすごく格好悪い。 花は京子のピンクの弁当箱から顔を上げた。 誰の後を追わなくても、お母さんのつくった女の子弁当を食べていようと兄貴のバカでかいおにぎりを齧っていようと、京子はかわいい。と、思う。 少なくとも、おべんとばこのプチトマトのお星さまが似合うのは、あたしじゃなくて京子の方だ。 「ねぇ、花、」 京子はおにぎりを食べるのをやめていた。 残り一口ほどになったおにぎりを見ながら、京子が言った。 「お兄ちゃん、なんでツナ君の名前出したのかな。」 グサグサっと、クラス中の視線が自分に突き刺さるのを花は感じた。 トゲみたいにちくっと刺さる、なんてもんじゃない。貫通してる。あたしを背中から刺して、矛先は京子を目指している。 『そう、問題はそれよ。』 とは、花は言えなかった。いつかそういう日が来たら、言うつもりだったのだ。自分が、京子へ。自分こそが京子へ。でも。 ちょっとこれは、キツイ……かな? その問題から目を逸らしてほしい、と花は思った。 何か別のことを考えてほしい。 『それよりあんた、最後の一口食べちゃいなよ。それともお腹いっぱいになったの? なんならそれ、あたしが食べてあげようか、そのぐらいならあたしも食べれるよ。』 ほんとうに、この問題から京子の目を逸らせるなら、そのぐらい食べられるだろうと花は思った。アルミホイルに包まれたただの白米の固まりみたいなだっさいおにぎりも、京子のためなら食べてみせるだろう。 どうかお願い、気付かないで。 その問題の本質に。それから、今あたしの背中に突き刺さっているものに。 どうかどうか、気付かないで。 視線の槍に串刺しにされて、花の心臓は止まっていた。 カチッ、カチッ。 時計の秒針が動いて、どこかのクラスが爆笑した。 遠い。長い。どうか。 「そっか。」 ついに京子が言った。 「私、お料理習おう。私が作ればいいんだよね、お兄ちゃんと私と、コロネロ君の分のお弁当。」 ばっくん。と、花の心臓がはねた。 身体が息を吹き返した。あは、と、中途半端な笑いが漏れた。 「え? 私、何か変なこと言った? 花。」 「ん。どーかな。」 息を吹き返した心臓は、跳ねて跳ねて勝手な言葉を花の口から紡ぎ出させた。 「うん。いいんじゃないソレ。早目の花嫁修業。」 舌の根が苦くなった。最大音量で耳鳴りがした。 つまり、そういうことなのに。 ごくんとつばを飲み込むと、京子のお母さんのお弁当はおいしかったのに吐き気がした。おいしかったので吐き気がした。つまりそういうことだとわかっていたので、花は更につばを飲み込んでこらえた。 「あはは、何ソレ。花嫁修業はちょっと早いよ、花。」 「うん。あたしも、今のはちょっとつまんないなって思った。」 『いいからそれ、早く食べちゃいなよ。』 やっと言いたかった一言が出た。 それで胸がすっとしたので、ああ、そういうことかと花は思った。 そういうことの本質はどうでもよかった。なんだかそういうことだってことが重要なのだ。 京子がうんと言っておにぎりに齧り付いた。 鼻の頭にご飯粒くっつきそうだなあ、と、その空想はあまりにも平凡なので取り消した。 京子が食べ終えるまで、暇つぶし。 花は自分の淡いピンクのネイルの爪を見て、その爪でおべんとうばこの緑の小さな星をつまんで、小さなプラスチック容器から取り出してみた。 そうしてみるとその星は本当に小さかった。 手に落とすのが嫌だったので、窓越しに空に浮かべてその小ささを確認した。 それから、緑の星越しに本当の空を見た。 男子に生まれたかった、とか、やっぱ、それも普通過ぎる。 ぽいと小さな星を落とした。 この星が、屋上まで、流れ星になって落ちて行けばいいのに。 花はそう思った。 それっていうのがなにかはよくわからないけど、でも、これならちゃんと、ふつうじゃないっぽい。 花嫁より男子より、ながれぼしになりたい。 08.08.11. back |