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 __10代目は、ご存じないのだ。
 獄寺隼人がその指にリングを嵌めたのはそれが初めてではない。



 初めて好きだと言われた時、獄寺は、それがどういう意味か分からなかった。
 呆然としていたら、
「返事は後でいい!」
 当時まだ学生だったツナは、叫んでくるりと背を向けて、走り去ってしまった。
 夕日に照らされた顔は真っ赤だった。スニーカーの靴音だけがぱたぱたと軽やかな音を立てていた。
 それを見送って、(右腕としては何たる失態だ。ボスをお一人で帰らせるなど。けれど、その時の獄寺はあまりのことにそこまで頭が回らなかった。)帰り道を一人、まるで雲の上でも歩いているようなふわふわした足取りで獄寺も家に帰った。

 好きって、なんだ?
 そりゃあもちろん無論とんでもなく10代目のことはお慕いしている。忠誠を誓おう。一生、あの人に仕えるだろう。ずっとお側に居たい、出来れば重用して頂きたい。いつか、「よくやってくれたね、君のおかげだ」なんて言われたら……
 想像しただけで3日は眠れなそうな気がした。
 でも「好き」って、そういうのじゃねーだろ?
 好きという感情は、当時の獄寺にとって、彼の姉の暴力的なまでの行動力の源であり、そうでなきゃときどき下駄箱に入っている白い封筒だったり、背後から聞こえてくる女子の甲高い声だった。いずれにせよ自分にも自分の夢にも無縁な、関係ないものだ。
 それが、10代目から、オレに向かって……?
 全くの予想外だったので、獄寺の心を占めた感情は歓喜どころか驚愕でも狼狽でもなく、不可解だった。
 とりあえずタバコを一服しようと思った。ポケットに右手を突っ込んだら、中指のリングが狭い入り口に引っかかった。
 嵐のボンゴレリング。守護者の証。彼の勝ち得たもの。野望を実現させる第一歩。自分と10代目以外にあと5人も持っている奴がいるというのはちょっと気に喰わなかったが。
 __コレはオレの、誓いの証。
 獄寺はその指輪をするりと引き抜いて、別の指に嵌め直してみた。
 左の薬指。
 なんでそんな場所に嵌めようと思ったのか分からない。いくらじゃらじゃらシルバーをつける趣味のある獄寺でも、その指を飾ることは滅多にない。その指の意味ぐらい知っている。知っていて何となく、そこに、嵌めてみようと思った。

 その指だけは、獄寺の手の中で唯一、金属環を受け入れ慣れてない。最初こそするりとその指輪を受け入れたものの、第二関節の辺りで突如反旗を翻した。張り出した関節が頑なにリングを拒む。ムキになった獄寺は力任せに根元まで押し込んだ。ジーンと後を引く熱を残して、リングはその指に収まった。
 左の薬指。愛の契約を声高に主張する指。そんな契約に、どれほどの効力があるんだか。
 姉やハルや、愛だ恋だとうるさい奴らの顔を思い出しながら、光にかざして仰ぎ見る。
 どれほどの意味があるってんだか。
 無理をさせた指がぼんやりと違和感を訴える。その熱がじわじわと身体の方に流れ込んできた。頬が熱くなる。胸の内が火照る。口元が、勝手に、笑う。
 ……ヤッベ。
 反射的に、左手で口元を隠した。薬指の根元の、つるりとした金属が唇に当たって、そこだけがはっとするほど冷たい。無視できない存在感。
 誓うよ。
 誓います。永遠に、裏切らない、嘘にしない、オレは変わらない。
 一緒にいる。一緒にいたい。あなたのために存在したい。
 その願いを具現化したものが、自分の指にぴたりと嵌っている。誰かに見られたら、一発でバレてしまうような形で。それが、どうしようもなく嬉しい。
 うれしい。ヤベーオレ、すっげー嬉しいです。10代目。
 獄寺は、理解してしまった。
 ああクソ、オレもあのバカ女達と同レベルかよ。
 でも、笑みの形のまま唇が歓喜に震える。目の端がじりじりしてきて、ああ、ヤバい、コレは泣く。10代目の右腕が、コレじゃあマズい。
 わざとらしい咳払いを一つして、獄寺は後ろ髪を引かれつつも、そっと、そおっと丁寧に、左の薬指からリングを引き抜いた。引き抜いて、やはり恐ろしく慎重にいつもの右の中指に嵌め直して、改めてタバコをポケットから取り出した。
 ああ、なんだ、好きってコレのことだったのか。
 その翌日。帰り道。獄寺はツナに一言、「オレもです」と返事をした。


 そんなことを、沢田綱吉は知らない。
 初めてキスをした日、身体を繋げた日、勝手に怪我をして三日も謹慎を喰らった日。
 獄寺は静かに指輪を嵌め直して、そっと口づけて、一人で誓った。そうすれば、何も怖くなかった。どうしようもなく幸せで、どうしようもなく幸福だった。獄寺の左の薬指は、いつの間にかするりとそのリングを受け入れる様になっていた。
 だから今日獄寺が驚いたのは、10代目がまるで自分と同じようなことをしたからだ。
 バレているのかと思った。リングはすんなり指に収まってしまった。あわててその顔を窺い見ると、ツナは悪戯そうに笑うだけで、特に何かに感づいたフシもない。
 じゃあ10年近くもこっそりこんなことしていたのはオレだけかと、獄寺は今度は逆に恨みがましく思えた。
 そうなると、獄寺は負けん気の強い方だ。まるで素知らぬ顔で幹部会議を切り抜けて、見事ゲームに勝った。明日は一日、ツナが左の薬指にボンゴレリングをつけなくてはならない。
 「参ったなー」と、本気で困っている様には聞こえない声でツナはぼやいていたが、実際、リボーンゆずりの彼の思いつきの冗談癖はある程度広まっている。左の薬指にリングをしたところで、特に面倒な噂話にあることはないだろう。

『……って、宣伝して回ってあげる。』

 だからだれもが、気紛れのお遊びだと思うだろう。
 その指輪が誰と何を誓っているのか、誰も気付きもしないだろう。

「宣伝にならないんじゃ、罰ゲームにならないんと思うんスけどね。10代目?」

 ベッドに仰向けに転がって、獄寺は一人呟いた。独り言の相手も、今頃は自室のベッドで休んでいる頃だろう。聞こえないと分っているから、口調に気安さが混じる。

「契約不履行っスよね。つか、賭けの罰ゲーム、自分で決めてちゃ意味ないんじゃないんスか?」

『宣伝して回ってあげる。
 君が、オレの右腕なんじゃなくてさ。
 オレが、獄寺君のものだって。』

 恨みがましい独り言に、繰り返し脳内で響く言葉に、獄寺は期待していたのだと気付かされる。
 そっと、指輪を引き抜いて、嵌め直す。燦然と輝く、幾重にも重ねた誓いの証。

 10代目。
 おれは、こんなにもあなたがすきです。
 誰かに見つかったら一目瞭然だから、こんな風に一人でしか出来ないけど、あなたは10代目だから、誰に見られても分からない。
 オレはこんなにもあなたのものなのに、あなたがオレのものだなんてきっと誰も思いもしない。
 なのに、あなたがオレのものだなんて、本気でそうに言ってくれるんですか?

「なら、明日なんかじゃなくて、今……」

 オレの前でだけしてみせて。他の誰にも見せないで。そうしたら、オレがあなたのものなだけじゃなくて、あなたがオレのものだって信じます。約束です。誓ってください。
 あなたは、オレのものだ。
 そうしたら、もう離さない。
 たとえあなたがオレを嫌いになっても、遠ざけても、オレは、あなたを好きでいる。
 オレがあなたを好きでいていい。
 あなたがオレのものになれば。

「……ずっと秘密にしてたから、知らないでしょう。10代目。10代目がオレを好きなのよりずっと、オレのが10代目を好きなんスよ。」

 ぱたりと寝返りをうつと、時計が目に入った。カチリと音を立て、短針が明日に転がり落ちる。約束の、明日が来た。
 10代目は、まだ起きていらっしゃるだろうか。
 スキャンダルはマズいからと言い訳をして。
 賭けに勝ったのはオレですと正面を切って。
 獄寺隼人は、沢田綱吉の右腕だから、深夜に彼の部屋をノックするには理由がいる。理由がいるから、いつも、彼は一人指輪に口づける。でも__

「……もし本当に、あなたがオレのなら……」

『会いたいだけで、会いに行ってもいいはずっスよね?』

 獄寺は指輪をした左手を握りしめた。初めて指輪を外した右手でドアを開けた。
 そして、彼は一歩、夜の廊下へと踏み出した。




08.11.17.
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