SEVENTH HEAVEN



 ボンゴレ10代目には婚約者がいる。
 彼女は10代目の学生時代からの友人で、同時に晴れの守護者の妹でもある。



  以上、報告はこれで終わりだ。」
 笹川了平は、ばさりとデスクに書類を落とした。
「おつかれさまです。」
「やりゃできんじゃん。」
 労ったのはボスである沢田綱吉。馬鹿にした様に言ったのは、その右腕の獄寺隼人だ。
「また全部忘れて帰ってくるかと思ったぜ。」
「まさか、同じ間違いを二度はせんぞ。」
「どうだかな。」
「獄寺君、」
 短く名を呼んで、ツナが獄寺を窘める。
「ともかく、日本も何事もないみたいでよかったです。」
「ヒバリがいるからな、そうそうとんでもないことは起こらんだろう。視察の必要なんかあったのか? オレは休暇を申請した気がするんだが、」
「馬鹿にはわかんねーことがいろいろあんだよ。」
「ふむ。そうか。」
 あっさり納得されてしまって、獄寺は肩透かしを食らう。
 了平の日本行きを休暇から視察目的に書き換えたのは、他でもない獄寺だ。
 ボンゴレ10代目となってしまったツナは、もう簡単には日本の土を踏めない。
 多忙なのは他の守護者も同様だ。
 六人中二人は所在不明、一人は子供でそもそも数に入れていない。歴代でも稀に見る少人数編成のおかげか、そのボスの類い稀なる巻き込まれ体質のおかげか、ともかくやたらあちこち駆り出される。休暇なんて簡単に取り消されるし、同じ屋敷に拠点を置いている獄寺でさえ、ろくにボスと話せない日がある。他に拠点を置いている残り二人は言うに及ばず、だ。
 視察なら、他所で何か問題が起こってもそう簡単には取り消されない。スケジュールを緩めに組んでおけば、了平のことだ、きっと隙を見て妹に会いに行くだろう。報告の義務もあるから、帰国したら空港から真っ直ぐ執務室。ゆっくり話をする時間も確保できる。
 ふむ、で済ましてんじゃねーよ、このバカ。
 出来るものなら悪態の一つも吐いてやりたい。種明かししてやるつもりも毛頭ないが。
「っと、そうだ、沢田。」
 獄寺の思惑を知ってか知らずか、了平は思い出した様にごそごそと荷物を漁りだした。アタッシュケースから取り出されたのは小さな赤いギフトボックスだ。
「京子からだ。」
「京子ちゃんから?」
 途端、ツナの声が明るくなる。
「元気そうでした?」
「もちろん。ああ、少し髪が短くなっていたぞ。」
「へえ、どのぐらい?」
 ツナがイスから立ち上がったのを見て、長くなりそうだ、と、獄寺は判断した。
 長くするべきだ。
「休憩にしましょう。オレ、タバコ吸ってきます。」
 灰皿を引っ掴んで、バルコニーに出た。



 ボンゴレ10代目には婚約者がいる。
 10代目は彼女を深く愛しているので、マフィアのボスの妻にはしたくないと公言している。
 愛しているので呼び寄せて結婚するつもりはないけれど、同じ理由で、たとえ名前だけでも彼女以外を婚約者にするつもりもない。
 そんなわがまま言ってたら笹川に愛想尽かされますよ。と、精一杯見栄を張って揶揄したら、真顔でそれは有り得ないと返された。
 五年目になる。
 宣言通り、まだ、そんな事態は起こっていない。予兆も見えない。
 会えない代わりに、二人の間にはこうしてたくさんのメールや小さな贈り物が飛び交う。
 よく、それで満足できるものだと思う。
 二人揃って、聖人か天使様なんだろう。
 だったらいっそ、こんなところじゃなくて二人で天国で暮らしてくれたらいいのに。オレの目の前じゃなくて。



「こら、」
 声に振り返ると、ツナはバルコニーに続く短い階段を降りてくるところだった。
 不謹慎な考え事がバレたかと、獄寺は一瞬ぞっとしたが、ツナは彼の手元を指差している。
「二本目に手を出すなよ。」
「もう火を点けちまいました。」
 銜え煙草のまま手すりに凭れ掛かって、獄寺は両手を宙に上げる。
 むりです。
 まったく、とツナが苦笑した。そのまま獄寺の隣に立って、手すりに頬杖をつく。
「笹川からのは、なんだったんです?」
「バレンタインのチョコレート。手作りだったよ。お兄さんとおんなじのだけどね。」
「……そーいやありましたね、そんな行事。」
 獄寺は、日本の奇妙な風習を思い出した。
「悪かったね、いつまでも日本人感覚で。」
 ツナはちょっと首を竦め、スーツの胸元に手を突っ込んだ。
「はい、これ。」
 渡されたのは、煙草とおぼしき小さな紙パッケージだ。
「あげる。いつもお世話になっているので。日頃の感謝を込めて。獄寺君に。」
「って、10代目。それ、おもいっきり義理じゃないスか。」
 獄寺が素直に喜べずにいると、ふざけた様にツナに肘で脇腹を押された。
「お礼は3倍返しでよろしく。具体的に言うと、来月の予算折衝とか。」
 つまりどうにか軍事部門の予算を減らす口実を考えろというのだ。
「……前向きに検討させて頂きます。」
 うんよろしく、と、ツナは笑った。
 まったく、ちっとも労力に見合わない贈り物だ。
 獄寺は改めてパッケージを見る。
「あれ? 10代目、これ、」
 よく見ると、見覚えがあった。それは煙草ではない。日本製の、煙草を模したチョコレートだ。
「うん。買ってきてもらったんだ。獄寺君にはそれがいいかと思って。」
 ツナは手すりの上に置かれた灰皿を指差した。
「ちょっとは量減らせよ。やってもらいたいこといっぱいあるんだから、君に、病気されたり早死にされたりしたら困る。」
 覚えていないんだろうか。
 そのパッケージには見覚えがあった。その台詞にも聞いた覚えがあった。
 獄寺は、よく覚えていた。
 その頃自分が、どんなに必死に彼の歓心を買おうとしていたか。
 それでその日は、日本の奇妙な風習に便乗して彼に贈り物をしようとしていた。
 今にして思えば、多分押し付けがましくて迷惑だったんだろう、先手を打たれた。先に渡されてしまったのだ。
 よく覚えている。今だって  
 今だって、許されれば、同じ温度で想いを伝えるだろう。
 もう叶わない。もう同じ様には喜べない。
 熱だけ飲み込んで、獄寺は細く煙を吐き出した。それは真っ直ぐに立ち上って、青い空に溶けて消える。
「オレ、お仕えする人を間違ったかもしれません。10代目がこんなに人使い荒いと思わなかった。」
 そんなの、とツナは眼下の森を見下ろしたまま呟いた。
「そんなの、気付かずに惚れた君が悪い。」
 指に挟んだ煙草の先端から、ぱらぱらと炎の欠片が落ちる。
 初めて会った頃、ツナは煙草の灰が落ちるのを随分気にした。小さくても火だから、燃え広がるんじゃないかと心配したのだ。
 今は、それはすぐに消えてしまうものだと知っている。ここから落ちても、冷たい燃えかすになって風に吹き飛ばされるだけだ。
「さ……て、と。」
 ぐいと手すりを押しておき上がる。すれ違い様に手すりに置かれた獄寺の煙草を取り上げた。
「これは没収。吸い終わったら戻って来いよ。」
 命令一つ残して、ツナは足早に立ち去った。



「……ほんと、燃費悪ぃ。」
 ツナが完全に視界から消えたのを見届けて、ずるずると獄寺はその場にしゃがみ込んだ。限界だった。
 ずっと一緒にいて、声を聞いて肌に触れて、必要とされて、まだ足りないって、なんだよそれ。
 ……救いようねぇの。
 押し付けられた、おもちゃみたいなチョコレートを抱きしめる。強い力に、それはあっけなくぱきぱきと折れた。
 救いようがない。こんなんじゃ足りないって、そればっかりで、きっとオレは罪深いんだ。だからあの人と一緒にはいられないんだ。
「……いい加減、諦めろよ。」
 言い聞かせて、やめられるものじゃなかった。

 むりです。
 愛してます。



 ボンゴレ10代目には、婚約者がいる。






09.02.15.
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