直径1.77mの洗礼 うー。と、屋外用の竹箒に寄りかかるようにして、山本が長く重苦しく息を吐いた。 授業はぜんぶ終わって並盛中は現在清掃の時間。1−Aの三人組も、今月の担当場所、校庭にきていた。 掃除の時間なんて言ってもいつも動くのは口ばっかりだ。意味もなく箒を振り回して遊んでいる 山本が、背を向けて立っていた校舎のほうに向き直った。てっぺんの時計を見上げる。もうすぐ午後三時半。 山本はまた、はーっとため息をついて俯き、箒に顎をのせて目を閉じてしまった。 ツナの短いコンパスでちょうど一歩分。微妙な距離から山本のその表情を見上げて、ツナはもたもたする。 ツナがもたもたしているうちに、その隣を獄寺がすり抜けた。ずんずんと山本に近寄って、ドカ、と力一杯箒ごと山本を蹴りつけた。 「だーっ! ったくこの野球バカ! てめーいい加減ウゼーんだよそれ!!」 「……あ。はは、わりぃつい……な。」 山本は電話を待っていた。 野球の、県選抜チームのメンバー選考会議が今日なのだ。県内の優秀な選手を集めて選抜チームを作って、合宿したり他の県選抜と対抗トーナメントに出たり。そこでいい成績を残せば、更にアメリカ遠征なんかも出来るのだ、と、ツナは山本から聞いていた。その時の弾んだ声とは一変、山本は今は竹箒のてっぺんに顎をのせて、深い溜息ばかりついている。 ツナは山本の、なぜかいつもより小さく見える背中を見ながら、そう思った。 選考会議は午後一時から。選考結果を伝える電話は、合否に関わらず四時までにかかってくるはずだった。昼休み終了と同時に会議は始まったはずで、五時間目が終わっても、六時間目が終わっても、連絡はなかった。やがて、三人のうち誰も、箒の一往復すらさせないまま、清掃時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。 「オレちょっと、職員室寄ってく。」 「あ、待って山本、オレも行くよ。」 「え? あ、じゃオレも!」 山本の一言から芋蔓式に、教室に帰ろうとしていた獄寺までもが慌てて踵を返した。そのままぞろぞろ職員室のドアまで連れ立っていって、あまり立て付けのよろしくないクリーム色のドアを前に山本が立ち止まる。低音の、長い深呼吸。 山本は肩越しに二人を振り返った。へにゃ、と笑ってみせたけれど、くっきりとした眉はいつもより若干下がり気味だ。 「二人とも、ついてきてくれてサンキューな。でもやっぱ、オレ、ここからは一人で行くわ。」 山本は職員室のドアに手をかけた。「しつれーしまーす」と気の抜けた返事と、ゴロゴロと引き戸がレールを滑る音。 「……けど実際、」 腕組みして、獄寺が職員室の反対側、窓際の壁に凭れ掛かった。カタン、と音を立てて引き戸が閉まって、山本の姿はその向こうに消える。 「あいつが選ばれないなんて事あるんスかね。県で十何人でしょう。山本が上位十人にも入れないとは思えないんスけど。」 『なにびびってんだ、あいつ。』 最後の一言は独り言のようだった。獄寺は職員室のドアに向かい眉を顰める。ツナは同意も否定も出来なくて、うーん、と曖昧な声をだして、獄寺同様壁に寄りかかった。 ツナがそっと横顔を窺うと、獄寺は唇を強く引き結んで、少し眉根を寄せて、じっと真正面を見据えていた。 ツナはことん、と後頭部をガラス窓に預けた。ちら、と青い空を見て、それから廊下の天井の蛍光灯に向かって、やっぱり独り言みたいに口にする。 「オレも、山本なら大丈夫な気がするけど……。」 『山本なら』 そう思われている本人の気持ちはわからない。 山本があんなに、思い詰めたりするなんて、あの日まで思いもしなかった。 ツナは、自信のある事なんて何一つないし、絶対大丈夫なんて誰かに思われた憶えもないし、何かに懸けた事もない。想像するにも材料が一個もない。 いつも、右腕になると人目も気にせず豪語している。 もう一度隣を見ると、獄寺はさっきと同じ鋭いまなざしで山本の消えた職員室のドアを睨んでいた。予想通り過ぎて、ツナはいっそ、ちょっとだけ可笑しくなってしまった。 かた、とさっきより幾分小さな音を立てて、引き戸が開いた。 「わりぃ、待たせた。」 「山本……」 表情からはどっちだったのかわからない。 「あの、どう……だった?」 「あ、うん。連絡、まだだって。」 「そっか。そう…だったんだ。」 ぎこちないやりとり。あは、と山本は変に明るい笑い声を出した。 「こりゃ、落ちちまったのかもなー、オレ。こういうの、受かったヤツから順番に連絡するって言うしな。オレ一年だし、一年で選ばれるのは珍しいって言われてたし、選考リストに名前が載るだけでも大したもんだって、監督も……」 珍しく、相槌も打たせないペースで山本は喋った。 『ダメだったのかも』 ツナは素直にそう思ってしまったので、すぐには「慰める」とか「励ます」とかいう行動が浮かばなかった。 またツナは悩む。そうしてもたもた悩んでいるうちに、また獄寺が先に動いた。一気に間合いを詰めて、山本の襟元に掴み掛かる。 「てめーいい加減にしろよ! 選ばれてーのかどっちなのかはっきりしろ!!」 「どっち…って……」 山本がぱちりと驚いたように瞬きする。 「選ばれたいんだったら選ばれると思ってろよ、この野球バカ! それともテメー、本当は選ばれたくねーのかよ!?」 獄寺の手は半ば引きずり倒す勢いだった。山本はそれを振り払おうともせず、黒目がちの瞳でじっと獄寺を見ていた。ちっ、と獄寺が舌打ちして、今度は山本の胸を思い切り突き飛ばす。 「ったくうぜー野郎だぜ!!」 ツナには、止める間もなかった。 獄寺はくるりと山本に背を向け、山本は突き飛ばされてよろけたその位置で立ち尽くした。 ツナは、どうしたらいいのかわからない。妙な沈黙が三人を包んでいた。 ふ、と獄寺が顔を上げた。 不機嫌そうに眉根にしわを寄せたまま職員室の方にちらりと目を遣って、背を向けたまま、山本に顎でしゃくった。 「……おい、電話。」 言われて耳を澄ませば、確かに微かに電話のコール音が聞こえる。 山本が職員室のドアに飛びついた。 力任せに開けると、開けた視界の真ん中でジャージ姿の顧問が電話を受けていた。 「センセ……」 顧問が戸口の山本の姿に気が付いた。片手に受話器を持ったまま、もう片手を高く上げる。そして、親指と人差し指で、くるりとおおきく「まる」を作った。 そのときにはもう、ツナも獄寺も山本のすぐ後に駆け寄っていた。 合格の合図に息を呑む。 ぐるんと山本が二人を振り返った。 次の瞬間、ツナの視界は白い何かに埋め尽くされた。背中になにかまっすぐなものが当たって、ぐいっと目の前の白いものに押し付けられる。 山本に抱き締められたのだ、と気付くには、少し時間がかかった。 「ツナぁ…オレ、受かった……!」 「やっ…やまも……!」 ぎゅうっと押さえ込まれて、息が出来ない。こんな近くに誰かの身体を感じたことはなくて、呼吸をしていいものかどうかわからない。すぐちかくに山本の心臓があって、それがぼこぼこと沸き上がっていて、身体はすごく熱い。なんだかツナまでカァッと身体が熱くなってくるようだった。 「よ…よかった、ね」 もごもごと、どうにかそれだけ口にする。 「うん! すげーうれしい」 「おっ、おめでと……」 「うん、ありがとな!」 ぎゅう、と上から頭を押さえつけられていた感覚がなくなったので、ツナは山本が顔を上げたのだとわかった。腕の力は、あいかわらず。 「獄寺は?」 「はあ?」 問い返した獄寺の声は少し上擦っていた。山本は、ツナだけではなく獄寺にも抱きつこうとしていたのだ。 獄寺はギリギリのところでそれを躱していた。けれど、山本の予想外の行動に、獄寺もまた動揺していた。心臓がバクバク言って、頬には少し赤みがさしている。 「なっ、なにオレに振ってんだよ。頭おかしいんじゃねえの、お前。」 「獄寺こそ、なんで逃げんの。心配してくれてたじゃん。」 「なっ……!」 獄寺は絶句した。 「あっ…アホか! なんだよそれ、いつオレが!?」 「あーあ。ちぇー。獄寺だけ捕まえ損ねたー。」 拗ねたような山本の口調は、しかしすぐにご機嫌になる。まるで鼻歌でも歌いだしそうに。 「けど、いーや。よかった。すげーうれしい。」 そう言って、くすくすと笑う。また頭を上から押される気配があって、今度はそれが山本の顎だとはっきりわかった。喋るたびちょっとずつ動いて、なんだか頭のてっぺんがくすぐったい。 ぎゅうと抱いてくる腕に押しつぶされそうで、ツナはまだドキドキしたままだ。あんまりドキドキするから、ツナは自分が慣れない体勢になってびっくりしてドキドキしているのか、山本の嬉しくて興奮してドキドキしているのが伝わってきているのか、わからなくなってきた。 「ツナ、おめでとうって言って。」 急な要求に、ツナはまたドキッとする。 「お……おめでとう、よかったね、山本。」 「おう」 山本はなかなか放してくれなかった。 そうしてぎゅうっとされていると、山本がすごく喜んでいるのも、さっきまですごく不安だったのもよくわかった。さっきまであんなに、自分は山本じゃないから考えてもわからないと思っていたのに、すごくよくわかる気がした。 ツナは、そおっと山本の背中に腕を回して、背中を撫でてみた。うわあなんかこんなの、ドラマかなんかの感動シーンみたいだ、と思いながら。 まさかこんなの、自分がする日が来るとは考えた事もなかった。おかげでツナの手付きは随分ぎこちなかったけれど、山本が嬉しそうに笑ったので、きっとこれでいいんだとツナは感じた。もう一度繰り返した次の言葉は、今度は心の底から言えた。 「……よかったね、山本。」 「うん。ありがとな、ツナ。」 おいこら、と、蚊帳の外の獄寺が呻いた。 「てめえ、野球バカ! いい加減10代目から離れろ!」 「えー。やだぁ。」 ふざけた調子で山本が言ったので、火に油を注がれた獄寺が引き剥がそうと掴みかかってきたのだけれど、山本はまるで痛くも痒くもないというようにツナを抱いたままけらけらと笑っていた。本当に嬉しくて楽しくて笑っているのだと、やっぱりそれも、ぎゅっと抱かれたままのツナにはよくわかった。 もしどうしてもわからなかったり、わかってもらえなかったりした時は、オレもこういう風にしてみよう。山本みたいに、上手にできるかは自信ないけど。 そう思いながら、ツナは随分ぎこちなさの取れた手つきで、とんとんと山本の背中を叩いた。 10.04.24. Happy Birthday 80 ! back |