ごくでらくんのかんさつにっき 朝、学校へ向かう道の途中、桜が咲いていた。 数日前からずっと咲きそうだった。 交差点を渡るときに一瞬見えるだけの、裏通りの神社の境内。 そこの桜は一本だけ枝の先の朱が濃くなるのが早くて、 最初に咲くのはそれだろうと思っていた。 予想通り、 早咲きの、最初の一輪。 月曜の朝に咲くなんて、 (……咲くなんて?) 咲いたから、なんだって言うんだろう。 次の言葉が見つからなくて、やっと、 オレはそんなことはどうでもいいんだと気がついた。 視線はまだ顎を上げて桜を追いかけていた。 それを、灰色のアスファルトの上に戻した。 「獄寺君ってば、さっきからへんなの。」 「へ?」 「どーしたの? なんか、上見て笑ったり下向いて溜息ついたり。」 「してましたか? オレ」 「してたよ。なんかあった?」 「あ、いや何も。ただ……」 桜が、と言ったら、10代目の反応は思いの外大きかった。 「え、もう咲いてたんだ。 へー、どこ? 全然気付かなかった。」 「さっき通った神社の……戻りますか? まだ一輪しか咲いてないんスけど。」 「あ、いいよ。帰りに見よう。 でも、そっかぁ、桜咲いてたんだ。 他の樹、まだ全然だよね。 獄寺君よく気付いたね。」 そう、だろうか? 「わかりやすいっスよ。 桜って……ああ、他の樹もそうなんすけど、特に桜は、 花の季節になると蕾だけじゃなくて、枝の先へ、 全体ががどんどん赤くなって、 遠目にもはっきり赤くなったころに、突然白い花が咲きますから、 見てりゃ分かります。」 ちょうど差し掛かった公園にも、桜があった。 (日本は桜だらけだ。) 「例えばあん中だったら、右から二本目っスね。 他より赤いでしょう。 明日か明後日には咲くんじゃないスか?」 「へー。」 言いながら、10代目はじいっと桜を見て、 桜を見たままずんずん前に歩いて、 首が180度真後ろを向いたところでやっと正面に向き直った。 そのまま、くるんとオレを見上げる。 「知らなかった。 よく気がつくね。獄寺君、すごい観察眼。」 ほめられた。 これは褒められたよな。 うん。 ほめられた、ほめられたほめられた。 「……で、なんでそれで溜息ついてたの?」 「ついてましたか? オレ。」 「うん、ついて……、 あ、うーん。どうだったかな。 確認されると自信ないんだけど、でも、」 『なんか元気ない感じになったのは確かだよ。』 断言されてしまった。 そうか、顔に出てたのか。 反省していたら、10代目がまた「で、どーしたの」と言った。 「いえ、桜が咲いたから、どうだっていうんだろうと思って。」 「えー?」 10代目は大きな疑問符つきで笑い出した。 「いろいろあるじゃん。春だなぁとか。」 「とか……、なんスか?」 つい聞き返したら、10代目はぎくっとなった。 「え?うん。春、とか、えっと…… なんだろ、花見いつにしようかなあ、とか。ええと、さくら…… さくらもち? 食べたいなぁとか。」 失礼ながら、いかに10代目とはいえ、それはこじつけな気がする。 取るに足らないことだと思う。 「でっ、でも花見は楽しみだろ? あと、絶対ハルが京子ちゃんとイーピンと誘いに来て、 限定のケーキとかお菓子とか言うしさぁ。」 「まあ、そーっスけど、でも……」 『あーもー。しつっこいなぁ。獄寺君は。』 笑いながら、そう言われた。 ちょっとショックだ。 (いや、かなり……) 「わかったよ。こーしよう。」 聞いてる? とばかり、ブレザーの肘を引っ張られた。 「次に桜咲いてたら、獄寺君、すぐにオレに報告してね。 あ、桜だけじゃなくて、 なんだろ、モンシロチョウとかツクシとか、 夏ならアサガオとか? オレ、そういうの気付くの遅いし、 報告してもらえば続きはオレが考えるから、 獄寺君しょんぼりしなくてすむし。 うん。 これで解決だろ。」 10代目はとても満足気で、 だから、オレはすぐに同意すべきだと思った。 でも、一カ所ひっかかるところがあってちょっと口ごもってしまった。 っても、本当にちょっとだ。 一歩足を踏み出す、たったそれだけの沈黙だ。なのに、 「何? まだなにかある?」 10代目はオレより一歩先に出て、首を傾げる。 オレは、下から顔を覗き込まれてしまった。 (あれ、オレいつの間に下を?) 「……た、たいしたことじゃないんスけど、 10代目、オレ、しょんぼりなんて、」 「してたよ。」 10代目は断言する。 「もー、さっきから笑ったりへこんだり、 かと思ったら、にやけたり。」 に、にやけ……? 「ほら、今度はびっくりしてるしさ。」 指差して、10代目が笑う。 すくなくとも、10代目はさっきからずっとわらっていらっしゃる。 「うん。本当にちょうどいいね。 オレ、獄寺君の観察には最近ちょっと自信あるよ。だから、 なんかあったら聞いてあげるから、 獄寺君もなんか見つけたら、ちゃんとオレに報告してね。」 『だからなにって一人で結論付けて、溜め息つく前にさ。』 今度こそ、もう本当に何の疑問も反論もなかったので、 10代目の提案は素晴らしいものだと思ったので、 オレは短く「はい」と答えた。 ああ、でも、どうしよう。 そこの角を右に曲がった家の軒下にはツバメが巣を作っているし、 左に曲がってしばらく行くと、 ツツジの生け垣の下はここいらの猫のたまり場になってるんだ。 春だからアイツら、すげぇうるさい。 もうすぐスミレも咲くし、たんぽぽも咲くし、 それにそうだ、ずっと一人でしまっておいたから、 CrocusとかNarcissusとか、 もうすぐなのに、 オレの中ではまだイタリア語のままだ。 困った。 どうしよう。 優先事項はどれだ? オレは本気で困っていたのだが、 10代目は今度は何も聞いてこなかったので、 これはたいしたことない困り具合なんだろうと思った。 じゃあ、端から一つずつ報告していこうか。 時間は、きっと、たくさんある。 あしたも、あさっても、ずっと、毎朝、 10代目はオレの報告を聞いてくださるんだろう。 ……きっと。 .08.03.26 back |