影法師



 不本意な団体戦に、半ば強制的に参加させられた。
 (僕は一人で十分だったのに。)
 戦う事は好きだ。殺し合いはもっと好きだ。相手が強ければなおさら。わくわくできるほどの強さをもっていれば、もっと。
 あの金髪の鞭使いとやり合う事も、黒ずくめの頭の悪そうな群れとの戦闘も、それなりに楽しめた。愉しかった、と言ってもいいだろう。一人で壊滅させられればもっとよかった。
 けれど、生憎それは叶わないまま、いくつかの擦過傷が塞がるより早く、雲雀恭弥は日常に戻っていた。
 応接室の、いつもの革張りのチェアに身体を埋める。机の上には未決書類が積んである。数日放っておいたから、いつもより塔は高い。草壁がある程度選別してくれたようだが、アレもここ数日の非日常を影から見ていたようで、どうしても、仕事は溜まってしまっている。
 退屈だ。
 ここ数日の反動で、余計に退屈だ。
 今日の分のノルマが終わったら、狩りに行こうか。
 そう考えながら、一番上の書類を手にとる。
 体育館の修繕費用の予算請求。
 巧妙に細工してあるが、あの仮面の褐色の女たちがあっちこっち迂回させて足跡を辿れないようにして回してきたのは間違いない。

「何者なの、こいつら。」

 風紀の力で八方手を尽くして情報を集めたけれど、何のしっぽもつかめなかった。

「さー? オレもよく知らないのな。」

 執務用のデスクの前。来客用の革張りソファにだらしなく座ったその男は、やっぱりだらしない声でそう答えた。
 山本武。
 あの一連の騒動の跡、この男は我が物顔でこの部屋に顔を出すようになった。

「野球も、なんだけどさ。剣も、もうちょっと強くなりたいのな。」

 そう言って、山本は雲雀の仕事が終わるのを待っている。一戦手合わせ願うつもりで。
 それはまあ、構わない。この男はほんの少し強くなった。少なくとも暇つぶしにはなる。仕事が終わったあと、少し遊んでやるくらいなら付き合ってやってもいい。
 山本の上達は早い。そう遠くない未来に、楽しめるぐらいまで強くなるのなら、悪くない先行投資だ。
 雲雀恭弥にとって山本武の利用価値はその程度。
 デメリットは、この男が、じっとしていられない性分だということだった。黙って待っていればいいものを、山本は一人、来客用のソファから執務用の机に向かってべらべらとしゃべり続ける。
 最初は昨日のテレビの話だった。それからCDのランキングの話。野球部の話。
 そんなものに雲雀は全く興味を示さないとわかって、話は結局『ツナ』と『ゴクデラ』の話ばかりになった。それから、休み時間にふらっと現れる『赤ん坊』の話。
 山本は事務的にてきぱきと書類に目を通す雲雀に向かって、途切れる事なく彼らの話を続ける。
 『ツナ』が宿題を忘れて教室の真ん中で一人起立させられたまま説教された事。それに腹を立てた『ゴクデラ』が教師にくってかかって、授業が半分つぶれたこと。そこにタイミングよく『小僧』が教育委員会の幹部と名乗って現れて、更に話がややこしくなったこと。
 山本武は、それは愉しそうに、満面の笑みでその様子を語り続ける。時々勝手に一人で思い出し笑いまでする。

「ねぇ、その話、用件は一体何?」

 雲雀はついにしびれを切らして聞いた。すると山本は笑って、

「ん? だってさ、オレのこと好きになってほしいヤツには、オレの好きなヤツの事知っててほしいじゃん。」

 そう返した。

 好きになってほしいヤツ。
 まさかとは思うが自分のことだろうか。
 なんて事だ。身の毛もよだつ。寒気がする。
 判を押した書類を処理済みのボックスに叩き付けた。さあ次、と目を転じたら、未処理のボックスは空になっていた。

「ヒバリ、終わった?」

 山本が両足揃えて、とんとソファから飛び降りる。

「今日はどこにする? 屋上? でも、そろそろ寒ぃよな? あ、オレの道場行かね? 親父から、好きに使っていいって鍵預かってんだ。」

「いいよ。どこでも。」

 この男は調子が狂う。
 決めた。狩りはやめた。こいつを血祭りに上げてやる。

「うし、じゃ、きまりなっ!」
 山本はスポーツバッグを抱え上げ、応接室のドアを押し開けた。





 外に出ると、あたりは夕暮れだった。

「ヒバリー! こっちー!」

 校門で待ち構えていた山本武が、大声で呼びかける。
 下校時刻はとうにすぎて辺りに生徒の姿はない。そうでなかったらこの場で殴り殺している。

「道場、ちょっと分かりずらいところにあんのな。はぐれるなよ。」

 山本はひょいとヒバリの手を取った。
 正確には、右手の、白いシャツの手首を。ぎゅっと掴んだ。

「な……!」

 雲雀は大きく手を回してそれを振り払う。

「何考えてるの!? 一人で歩けるよ!」

「そか。」

山本は眉根を寄せて、

「……そーだな。悪ぃ、つい。」

 いつもより少し歪んだ笑顔を作った。

「んじゃ、行くか。」

 西日に背を向けて、山本は歩き出す。
 アスファルトに、長く影が延びている。
 左手が、さっき振り払われた反動だろうか、まだぶらんぶらんと揺れている。
 雲雀の右手は、まだじりじりと熱を持っている。なんだか上手く力が入らない。
 なんだ、この感覚。イライラする。腹立たしい。
 見ていろ、今日は、手加減なんてしてやらない。完膚無きまで叩きのめしてやる。その馬鹿力がからっぽになるまで。この手の痛み、お前にも味あわせてやる。
 ひりつく違和感を追い払うように、雲雀はだらりとたらした手首をそっと揺らした。
 フン。忌々しげに息をついて、顔を上げる。
 遠い道の先、アスファルトの上、長い影の先で、ゆらゆらと揺れる二人の手が重なっていた。

 ああ、この男は気付いていないだろう。
 きつく掴まれた痛みも熱も、離されて風に晒される冷たさも。

 雲雀は手を揺らすのをやめた。帰り道、アスファルトの上、長い影二つが、手をつないで歩いていく。
 手首の熱は、いつの間にか穏やかな温もりに変わっていた。




イメージは笹川美和のアルバム「まよいなく」収録、『影法師』より。
08.07.14.
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