Over Sea Calls


...201X.
...a Call
...from N.Y. U.S.A. to Namimori JAPAN

 きっと、フツーの人だったころの癖が抜けてねーんだろーな。
 専用回線になっても、一言目は必ずこれ。
「ハイ、沢田です」
 ほらな。
 山本は笑う。笑って、用意したセリフを一気に話す。
「あ、ツナ? オレ。待たせたな、検査結果出たぜ。
 やっぱすっげーな、おまえんとこの医者。完っ全に治ってるってさ。
 開幕スタメン間違いなし!」
 山本は笑って一息にそう言った。が、電話の向こうから返事はない。
「なんだよツナ、おめでとうって、言ってくれねーの?」
 やっぱり沈黙。
 こっちは人気のないロッカールームで、多分あっちも人の来ない場所でこの電話を受けていて、だから二人とも黙ると完全に沈黙だ。
 さすがになー、と、頬を掻いて、山本は続きを切り出す。
「……で、ツナ、おまえの方は? 傷、ちゃんと看てもらったか?」
「……うん」
 やっと聞いた声も、少し、力がない。
 どーした、と言おうとして、それより先に、無理に張り上げたような声を出された。
「オレのは、かすり傷だから心配ない!唾付けときゃ治る! だって」
「本当かー?」
「て、シャマルが言ってた」
「ぷ。そりゃ、信じていいんだかどーだか、わかんねーな」
「ん、ホントそーだね」
 電話の向こうが、やっと、ちょっと笑う。
「……悪かったな。オレがいたのに、怪我させちまって」
「違うよ、山本は悪くないよ。ぼーっとしてたオレが……」
 山本は最後まで言わせなかった。
「ツナのせいじゃねーよ」
 少し大きな声で、はっきりと言い切った。
 言い切ることが出来て、山本は少しほっとした。口調がいつもの柔らかいものに戻る。
「……オレのせいだ。
 あん時、腕痛めるんじゃねーかなって、一瞬考えちまった。それが原因。おまえのせいじゃない」
 野球選手としてのトレーニングと、マフィアとしての戦闘。治しても治しても、ダメージは確実に蓄積されていく。
 昨シーズンは、肘の故障で長く欠場した。その前もその前も、故障しては欠場している。表向きは、故障ということになっている。
 根回しの間に合わなかった三流ゴシップ紙だけがあることないこと書きたてる。
 もちろん、選手としての実力はある。人気もある。山本が出場すると決まれば、途端、チケットの値段が跳ね上がる。急な欠場をアナウンスすれば、球場はブーイングに包まれる。
 出来れば、出たい。どうしようもなく出たい。球場に立って、野球をしたい。
 ナイターの強い照明。観客の歓声。ひどく幸福な、戦いの高揚感。でも……。
「そこに敵がいるってのに、野球とダチと、どっち守るか悩んで、で、どっちも怪我させちまった」
 今回は、どっちもどうにかなった。今回もどうにかなった。
 でも、『どうにかなる』がいつまでも続くとは限らない。
「どっちかに、決めねーとな」
 ばたりとロッカーに寄りかかり、天を仰ぐ。薄い鉄板が頭を打った。鈍い痛みと軋む音が響き、また沈黙が降りる。
 とっくに決めてたつもりだった。中学一年のあの日、こいつを選ぼうと決めた。決めたはずなのに、自分はまだずるずると野球を続けている。
 好きなんだ。どうしようもなく。本当に、どーしよーもなく。
「……山本」
 電話の向こうでツナが名を呼んだ。
 ……答えは、とっくに出ているんだ。
 電話の向こうで、ツナが何か言っている。
 心配そうな声で、優しい言葉をかけてくれる。
 見えなくてもわかる。あいつまで泣きそうな顔をしている。
 とっくに選んでる。
 選んでるのに、あいつは優しいから、どーしよーもないオレを許してくれる。
 オレを許して、おまけに、自分のせいみたいな顔をする。
 違う、オレはお前らと一緒にいたい。お前にそんな顔させたくない。
 ああ、だから、オレがコイツを守ってやらなくちゃ……。なのに。
「あー、ちくしょー」
 それでも、そのたった一言が口に出来ない。
「野球、辞めたくねーなあ……!」
 天を仰ぐ。ロッカールームの真っ白な天井に、バカみたいに大きな蛍光灯。
 なんだってこの部屋はこんなに明るいんだ?
 片手で顔を覆う。誰も見ていないのに顔を隠す。
「……山本は悪くないよ」
 耳元で、ツナが言った。
「山本は悪くない。オレが、オレのために、山本に野球を辞めさせるんだ。山本は優しいから、オレのために、野球を辞めてくれるんだ」
 ツナは、そう言った。
 力が抜ける。山本はずるずるとその場に座り込む。
 なあ、なんて返事しよう。ツナ、やっぱすげーよ、おまえ。
 悩んで悩んで、ぽつりと呟いた。
「……ありがとな、ツナ」
「ありがとうは、変だよ。オレが山本を巻き込んだんだから」
 んなことねーよ、と、いつものセリフが喉の奥でつかえた。
 顔を覆った手を下ろす。
「ありがとな」
 それしか言えなかった。
「じゃ、切るぜ。次は、日本で」
「うん。じゃあ」
 電子音を残して電話は切れた。
 次にツナがオレを見るのは、スポーツ紙の一面か、朝のニュースか……。
 これからあっちこっち電話して、記者会見とかして、そーゆー写真がばーんって、スポーツ各紙一面、山本武突然の引退って……。
 山本は盛大に溜息をつく。そして立ち上がる。
「うしっ!ふっかーつ! ってな」
 笑おう。笑って並盛に帰って、ツナに会おう。
 笑ってツナの肩を叩いて、ただいまを言おう。
 ツナに笑ってお帰りを言ってもらうために、このロッカールームにも、笑ってさよならを言おう。
 もう一度膝を抱えるような屈伸をして、立ち上がると、山本は大股でロッカーのルームの出口へと歩き出した。



...Another Call
...from XXX Italy to Namimori JAPAN

 この件は、上層部から、聞いた。
 誰の涙も、聞いてない。知らない。
 復唱して確認して取り繕って、握りしめていた携帯電話を開く。獄寺は切り出した。
「10代目、獄寺です。例の、山本の件ですが」
「……うん」
 ああ、またこの声だ、と獄寺は思う。
「もう、そっちにも行ったんだね、報告」
「はい」
「……山本、辞めるって、野球」
 またこの悲しい声だ。悲しいのに、泣きも叫びもせず、前を向いている時の声だ。
 何か10代目を元気にすることを言わなくちゃ。
 そう思いつつ、気の利いた言葉は浮かばなくて、獄寺は感情を押し隠し淡々と報告を続ける。
「はい。予定通りこっちの案で、本部の承認も取れました。守護者に空席を作るのは、本部も痛いところですから」
「そっか。よかった。危ないことにならなくて」
 ツナの声が少し明るくなる。ほっとして獄寺は調子を合わせる。
「そうっスね。ともかく、これであの野球バカも命拾いっス。今度、寿司でもおごらせましょう!」
「……野球バカ、か……」
 呟いた一言にはっとする。
「あ、いや……!」
 何言ってんだよ、オレは。元気なくさせてどーすんだ。
 獄寺は自分を罵る。が、電話の向こうの声は少し笑い、獄寺に礼を言った。
「獄寺君も、ありがと。おかげで助かったよ。本部と交渉って結構面倒だった?」
 ツナの言葉に、獄寺は頬を紅潮させて舞い上がる。
「いえそんな、10代目に礼を言われるような……」
 舞い上がる、その途中で、気付く。
「……10代目に、礼を言われるような事じゃ、ないです」
 さっき聞いたやりとりに似ているんだと気付く。さっきの山本の言葉を、ツナの声を、思い出す。
 獄寺は聞いていた。本部の命令で、ずっと二人の行動を追っていた。
 二人とも知らないだろうが、いや、知られないように行動したが、今回の件は、本当にギリギリだったのだ。本部はもう、所詮満足にイタリア語も話せない東洋人の若い剣士一人、抹殺もやむなしと考えていた。
 その考えが理解できるのは、10代目ファミリーでは、たった一人獄寺だけだ。
 そして、それを阻止できるのも。
 少しでも時間を稼げるなら、10代目の幸せを守れるなら、二重スパイでもなんでもする。ばれて嫌われようと罵られようと構わない。最悪の場合は、オレがヤる。他のやつに消されるぐらいなら、オレが山本をやる。そして、それを回避できるなら、盗聴ぐらいどうってことない。オレが守ってみせる。あの御方の笑顔を。あの御方の愛するものを。
 そう思っていた。
 それで10代目が護れるなら、傷つかずに済むなら、それで十分。
 そう思っていたはずだ。やり遂げてみせるはずだった。なのに。
 また10代目にあんな悲しい声をさせた……。
「10代目、あの、今回の件は……」
 下手なことを言ったら盗聴がばれる。
 けれど、なにかしてあげたかった。何かできることがあるはずだった。オレにだって、なにか。
 考えているうちに、ぽろりと言葉が溢れて出た。
「……自分のせいです」
 溢れだしたら止まらなかった。
「自分のせいです。10代目が悪いんじゃありません! オレが、もっと、」
 面と向かっていたら、土下座して床に頭を打ち付けていただろう。
 電話ではそんなことは出来なくて、どうしようもなくて、不甲斐なさに戦慄く手が強く髪を掴む。
「オレがもっと、10代目の右腕として、立派にお役に立てるような男なら。
 例えば山本の分まで戦えたり、さもなきゃせめて本部に意見を言えたりすれば、そうすれば、こんなことには……」
 静かな声が、悲鳴じみた訴えを制した。
「……獄寺君のせいじゃないよ」
 瞬間、獄寺は息を呑む。
 山本の気持ちがよく分かる。
 なんで10代目に言われると、この御方に言われると、こんなに胸が楽になるんだろう。重い物を全部受け取ってくれる。すぅっと心が軽くなる。
 素直に頷いてしまいそうになる。
 …………ダメだ。これじゃ逆だ。オレは、オレが、10代目を……!
「オレのせいです!」
 声を張り上げた。
「オレのせいなんです! オレのせいにしてください。そうじゃなかったら、そうじゃなかったら10代目は……」
 誰かのせいを全部引き受けて、そんで……そんで……
 言葉が出ない。
 助けるんだ、支えて差し上げるんだ、そう思っているのに、結局また助けられている。救われている。
 役に立たない。不甲斐ない。
 10代目は強くなられた。何があっても真っ直ぐ前を見詰めるようになった。
 山本は野球を辞める。野球しかなかったくせに、10代目のために、野球を辞める。
 自分一人だけ、子供のままのような気がする。何もできないって、今更気がついて、こんな風に声を荒げてる。
「……すんません。取り乱しました」
 ツナは何も言わなかった。返事の無いことが、むしろ救いになっていた。
 それさえ、わかってやってるんだろうか。
 いっそこのまま電話を切ってもらいたいと獄寺は思った。が、聞こえてきたのは、世間話でもするようなツナの気の抜けた声だった。
「……ところでさ。獄寺君。そこ、どこ?」
「えー……と?」
 いきなりの質問に、獄寺はちょっととまどう。
「ホテルの部屋ですけど。ファミリーの息のかかった」
「あ、じゃあちょうどいいや。ホテルの人とか来ないよね」
「ええ」
「この間渡した傷薬、持ってるよね」
「ええ。もちろん……って、ええ!?」
 なんか嫌な予感がして獄寺は声をひっくり返す。
「ちょっ!待っ! まさかスけど、これ、そーゆー!?」
「さー。少なくとも、シャマルはそう言ってた」
「あ、あんのエロ医者、十代目になんてものを……!」
「今持ってるのは獄寺君だけどね」
 ぐ、と、獄寺は黙る。電話の声が追い打ちをかける。
「ベッドは使っていいよ」
 ケロッとした声。寒いならマフラー貸してあげる、みたいな。
 けど、内容はとんでもない。
「……マジっ……スか……」
 のろのろと立ち上がり、獄寺はカーテンに手を伸ばす。
 閉める。覚悟を決めて勢い良く。ちゃんと聞こえるよう、音を立てて。




...And a secret Call

「……じゅ、だい……めぇ……」
 ああ、こんなことをしていたら声が涸れる。
「……も……むり……」
 彼の命令はたった一つだった。
『オレのコト呼んで?
 オレのコト呼びながら、自分でやって。』
 命令じゃない、まるでガキのことからの遊びの延長。
 黙って後ろを選ぶあたり、自分でも末期だと思う。けど、後悔も自嘲も、もうしている余裕はない。
 体が熱い。
 蹲って前をシーツに擦り付けて、それでもまだ足りなくて。
「……あ、のっ……じゅうだぃ、め……?」
 もうなんで呼びかけているのかもわからない。
「ん? なに? 獄寺君」 
 右の耳の奥、愛しい声が笑う。細い柔らかな糸を差し込んで、脳の奥まで犯されている気分。
「あ、……あ! や、もぅ……」
「ダーメ、オレを呼んでって言っただろ?
 それに、ケータイ持ててるうちはまだ大丈夫」
 その、赤いケータイを握りしめた右手は、既に汗でべとべと。長時間の通話で熱を帯びて、押し付けた右耳がじりじりと熱くて、それでも落とすまいと力を込めた指先はガクガクと震えてる。
 ああ、この手、逆にしときゃあよかった、と獄寺は思う。
 そうすれば、もうちょっと加減も出来た。
 後ろを犯す不器用な左手はまるで自分の物じゃないようで、誰かの、あの御方のもののようで、どうしようもなくて、その名を呼ぶ。
 まるで助けを乞うように。
「じゅ……だ………め……」
 目が回る。
 左手からぐちゅぐちゅとぬるい水の音。右手はあの人の声で、汗ばんだ腿にはジーンズが絡み付き、身体を曲げて額で支えて、時折擦れる一番敏感な部分が限界だと悲鳴を上げている。
 ああ、天井はどっちだ? 敵襲とかあったら3秒で死ぬぜ?
 意識は朦朧としていた。許してほしかった。気が狂う。狂ってる。でも、あの御方が望むなら……。
 もっと深く、指を進めて、押さえきれない声が漏れる。
「じゅっ、だひ………め、オレ………………」
 だから、彼が右耳で囁いた声を、獄寺は聞き損ねた。
「……うん。そーだよ。オレは、10代目だ」
「……う……、んぅ……っ あの、じゅーだ、め?…………あ、の……っ……いま、なんて……」
「内緒。ねぇ、もうちょっと呼んで?」
「……じゅ、だ、ぃ……め……」
 右耳の奥がくすくすと笑う。
 いいや、もう耳の奥なのかどこの奥なのかわからなくない。ともかく身体の奥の一番深いところで、くすぐって、くすぶって、どうしようもなくて。
 これでもう動けなくなるな、と思った。
 これで最後だから、と、深く息を吸ったら、ひどく響いた。
「……あ、ふ……」
 ずるずる崩れていく意識をどうにか引き留めて、呼ぶ。
 呼ぶんだ、あの御方が求めるなら、何度でも、何度でも。
「……じゅぅ…だぃ、め……」
 最後の呼吸がぞわぞわと背筋をなぜる。背筋が反るのを感じた。視界が真白になって、ぱたりと、右手がシーツに落ちた。


「……いつも、君が一番そう呼んでくれるね」
 だから、携帯から洩れる独り言は、彼には届かない。
「いつだって、君が一番、オレをそう呼んでくれたんだ」
 君が呼んでくれるなら、オレは10代目になれた。
 遠くから、乱れた吐息が聞こえてる。
 オレまた、無理をさせたね。
 聞こえないと分かっていて呟いた。
「……ありがとう。獄寺君」
 舞い上がっちゃうから、多分一生面と向かってなんて言えないけど。
 オレは強くなれたよ、君がいてくれたから。
 君が呼んでくれるから、オレは10代目でいられるんだ。
 君が呼んでくれるなら、どんなに残酷なことでも、この名の下に決断できる。
 やってみせるよ。オレはもう泣かないし、逃げもしない。
 誰かを泣かせることになっても、オレが、全部引き受けてみせる。
 10代目ってきっと、そういうことなんだろ?
「……ごめんね。それから、ありがと」
 おやすみ。
 また明日、君が呼んでくれるから、オレは前を向いていられる。
 おやすみ。
 いつだって、まっすぐに、オレを選んでくれる、オレの、一番大切な人。
 一番最初にオレを選んでくれた人。
 早く帰ってきて、いつもの無責任な笑顔で、大声でオレを呼んでね。
 






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