リング


 滞在2週間ともなれば必要なものも増えてきて、かといって迂闊に外に出られない今の状況では、結局、基地内にあるものを使い回して生活することになる。
最初は、チビどもの暇つぶしにカードやペン。誰かのサインが入ったサッカーボール。
 ごはんは大事!なんて女どもの主張により、10年後の誰かが使っていた食器にカップ。見覚えのない銘柄の紅茶。
 そのうち、未来との接触なんて綺麗事は忘れられて、与えられた部屋に届けられたのは一回りデカい歯ブラシ。
 味のしない煙草、シリアルナンバーの入ったジッポのライター、丈のあまるタンク。

 邪魔クセェ。結ぶ、か…、いっそ切っちまえ。
 と、ぐしゃぐしゃと裾を持ち上げて、裏に縫い付けられていたタグに一瞬手が止まる。
 10年経っても同じロゴ。こんなところだけ変わらない。

 イライラする。
 食堂から、逃げるみたいに一人で先に部屋に戻った。
 なのに、まだ誰の気配がする。
 最初からずっと、絶えず付き纏う。
 段々と色濃くなる、もう一人の自分の気配。

 タンクトップは脱ぎ捨てて、床に投げ捨てた。ついでに蹴りつけてベッドの下に追いやる。
 裸で寝た方がまだましだ。
 そんなことしても、その男の気配は消えてはくれないが。

『……クソ』
『ふざけんな』
『ありえねーっ』
『なんで、10代目が……!』

 思考回路を断ち切るようにベッドを踵で蹴り付ける。
 イライラする。
 未来のこと姉のこと親のこと修行のこと……
 慣れない地下の部屋に、もう一人の誰かの気配と、眠れない夜ばかりが溜まっていく。




「着替えなかったのね」
「……うるせぇよ」
「もう破れかけてるじゃない」
「かんけーねーだろ。姉貴にも修行にも」

 ふーっとビアンキは息を吐く。
 ハヤトのもとに持ち込んだ日用品は、全て彼女の選別によるものだった。

 アジトはとっくに現在と過去の人間の比率が逆転している。
 それぞれの(未来の)私室に立ち入って日用品を選ぶことができるのは、ビアンキとフゥ太だけで、そして、当然のようにハヤトの担当はビアンキだった。

「まあ、いいわ。必要になったら使いなさい。
 それと、コレ」

 ゴーグルの奥、彼女の表情はわからない。
 ただ真っ直ぐに突き出された右手は、ありふれたヘアゴムを一つつまんでいた。小さな飾りが付いていて、ゴムは歪んだ楕円形を描いている。

「なんだよコレ」
「髪、伸びたでしょう。縛りなさい」
「……だっせえ」

 ゴムに付いた飾りは、小さな安物のリングだった。今のハヤトにも、小指にやっと、入るかどうか。
 クロスモチーフのシルバー、と見せかけて、いかにもそれっぽいニセモノだ。まあ、それなりに、値は張るのかもしれない。重さからすれば、銀の精度も低くはないだろう。
 だが、今まで持ち込まれるものが全て惜しげもなく一級品だったので「ちょっと高そう」なだけのこのリングは、かえってどうしようもない粗悪品に見えた。
 それが、自分でやったのだろう、わざわざ黒い細いゴムにしっかり結い付けられている。

「ガキみてぇ。ばっかじゃねーの?」

 こんなものを大事そうにして。
 一番大切なものを……。

 その男が、どんな気持ちでこの指輪を残していったか。
 ハヤトは考える気にもなれなかった。
 ぶちりとゴムを引き千切る。リングを投げ捨てる。切れたゴムだけ、輪の形に結び直して髪を括る。落ちたリングには目もくれない。
 裏切り者に用はない。
 日増しに濃くなる男の影を一つ踏みにじって、ハヤトはザマーミロと呟いた。

「とっとと始めようぜ。時間ねーんだ」

 ビアンキはまた、ふーっと息を吐く。

「それでいいの?」
「ああ?」

 声だけ返して、ハヤトはすでに背を向けてスタスタと歩き出している。

「ホント、バカな子……」

 砂の中から長い爪がリングを引き上げた。




「ゆっ、指輪がいいかなって、思ったんだ!」

 ツナは軽くパニックだった。
 もっといつも通りの、暑苦しい暴走気味の感謝の言葉が降ってくると思っていたのだ。
 が、意に反し、彼は完全にフリーズしていた。

 どっ、どうしようどうしよう、どーしよー!

 で、口は勝手に言い訳をまくし立てる。

「ほら、最初がさ、守護者のリングとかなんだとか、
 そんなだったし、
 しかも届けたのよりによって父さんだし、
 その、オレからこうやってちゃんと、
 直接、最初にあげるのは、
 指輪がいいなって!
 で、その、オレこーゆーの買ったことなくて、
 サイズとかあるの知らなくて、
 だからオレと同じでいいかなーって、
 な、なんか、
 全然ダメだったね。
 そーだよね。
 オレより全然背高いもんね、おんなじなわけないって。
 ホント、オレ、
 ダメツナだなー。
 なにやってんだろ。
 だから、えっと
 と、取り替えてもらって来るよ。
 うん!そうしよう!
 だからこれは……」

 取り返そうと伸ばされた手に、もう一回り大きな白い手が重なる。

「……えと、獄寺君?」
「あの、これで……!」

 白い手にきゅっと力が入る。
 引き留めるように、包み込むように。

「……その、自分は、これがいいっス。
 十代目が選んでくださったもんですから、
 オレは、
 これがいいんです!」

 ツナの右手は、すっぽりと包まれている。
 一回り大きい手。
 白い。
 冷たい。
 くっきりとした関節の陰影。
 うっすらと透けて見える静脈の青。
 やがて、ツナは笑い出した。

「オレ、ずっと一緒にいたのに、獄寺君の手こんなにじっと見たの初めてだ」

 ツナは照れたように、そっと手を引いた。
 だから、今度はサイズ間違わずに買うね
 笑いながら、彼はこの次を約束した。

 白い手の中には、指輪が残された。
 一生、大切にします。
 彼はそっと、永遠を誓った。




 ……あれは何年前だったかな。

 ベッドに座って膝を抱えて、眠れぬ夜に考えることは考え尽くしてしまって、最近はこうしてぼんやりと記憶を辿っている。
 あれから毎晩こんな調子で、それでも昼の殺人的なスケジュールはこなせているのだから、我ながら大したもの……?

 『殺人的な』

 あの御方は棺と花に。
 自分は暖かな羽根に。

「…………!」

 衝動的に自分を罵る言葉が口をつく。
 右手が壁を殴ろうとする。
 けれど、そんなことで取り返しのつくことではなく、そんなことであの人は喜ばず、そんなことをしても、もう……

 いないものは、いない。

 これは失態だ。
 大失態だ。
 取り返しのつかない、決定的な、裏切りで、約束破りで、愚かで、どうしようもなくて。

 最低だ。

 だから、いつものように振る舞いたくなかった。口をついて出そうになる罵りも、暴れようとする身体も全部押さえつけていた。
 それ以外にどうすれば、あんなにも大切に思っていたことを証明できるのか分からなかった。

 あの誓いは本当だったことを、どうすれば証明できるだろう。
 わからなくて、部屋の物には何一つ手を付けていない。
 結局全て、あの人に与えられた物なのだから、手を触れることさえ恐ろしくて、恐れ多くて、すべてそのままだ。
 あの人がいたときのまま。

 ……永遠って、いつからいつまでだ?

 あの小さな誓いの指輪も、窓から投げ捨てることも、棺に帰すことも出来ずに、まだそこにある。

 ……死んだらお終いか?
 それとも本当に『永遠』なのか?

 冗談じみた起死回生の策のことが、ちらりと頭を掠めた。

 ……もし、死んだ後にも永遠が存在するなら、
 じゃあ、約束する前も永遠の範囲内か?

 過去の自分は、気付くだろうか。この小さな指輪に。
 誓いを守れるだろうか。まだ、してもいない永遠の誓いを。

 ……でも、あの頃にはもう好きだった。

 膝を抱え直す。
 ああ、そうか、と気付く。

 こーゆーのが、『永遠』か。

 地下の部屋に朝日は射さない。
 デジタル表示の時計だけが、そろそろ立ち上がる時間だと告げていた。











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