そんなミライ



 夏休みがあけて一週間。
 9月だっていうのに、空はまだ夏の青だ。暑い。
 「獄寺君はさー!」
 帰り道、立ち寄ったコンビニの前。せっかくの冷気を逃がさないように自動ドアから狭い日陰へと駆け込んで、一息つくより先にツナはアイスの袋を開けた。パンと弾けるその勢いにのせて、ツナは獄寺に話を振る。
 「進路希望、どーすんの?」
 真っ白な紙に、要求されるのは名前と丸を一つだけ。たったそれだけで、人生が決まってしまう。そんな風に、教室はちょっと殺気立っていた。
 疎外感にはなれっこになっている。選択肢もいつだって人より少ないと思ってた。
 だってオレ成績悪いし運動音痴だし、ダメツナだし。
 けれど、今日ツナに突きつけられた白紙の未来はそんなレベルじゃなかった。希望用紙は真っ白なのに、真っ暗に見えた。他のみんなとはまるで違う色。教室 中が息を詰めて真剣に担任の説明を聞くなか、ツナだけは頬杖をついて窓の外を見て、みんなとは違う意味で息をひそめていた。
 獄寺も山本も同じ白紙を前にしているはずだった。けれど、山本は、高校行くなら甲子園、と公言している。実際、スポーツ推薦がほとんど決まっている。獄寺については言うに及ばず。
 ああ、じゃあ本当にオレだけだ。そう思うとますます息が詰まった。
 寄り道した青空の下、ここにきて、やっとちゃんと胸に空気が入ってきた気がする。生温い夏の生き残りの風。教室ではしまっていた秘密の事実を、その風に乗せて吐き出した。
 「オレ……達は、きっともう、どっちでも関係ないんだよね。」
 だから、どうするのかなって。
 言い終わるや否や、ツナはアイスを口に突っ込んだ。吐き出したものが戻ってこないように、蓋でもするみたいに。
 視界の隅で、獄寺が炭酸のボトルを口から外して何か言おうとしていた。けれどツナは気付かないふりをしてばくばくとアイスを囓る。
 聞きたくなかった。彼がどんな嘘を書いてあの紙をやり過ごすのか。自分はどんな嘘を作って普通の人のふりをすればいいのか。そんなのまだ聞きたくない。
 自分から話振っといてそりゃないだろ。
 分かってはいたけれど、とりあえず、今は確認だけがしたかった。さもなきゃ告白。
 『もうオレは、戻れないんだよね?』
 『ねえ、オレどーしたらいい?』   
 獄寺のペットボトルは、そんなツナの気持ちを察したのか、ちょっとためらったあとまた口元に戻っていった。白い喉が上下する。彼の手首で銀色が光る。往生際の悪い残暑なんて知らないと涼しげに光る。
 獄寺は、眩しそうにちょっと目を眇めるだけだ。空に手をかざして、他人事のように呟いた。オレの方は、進路ぐらいどうとでもなるんスけど、と。
 ツナは、とてもそんな風には生きられない。銀色に指を飾って煙草をくわえて、彼のように平然となんてしていられない。
 「……問題は、10代目の御将来、ですよね。」
 声は考え込んでいた。
 ほら、オレに分からないんだから、やっぱり獄寺君にだって分からないんだ。
 分からないからツナは黙ってアイスを食べる。チョコバーはみるみる小さくなっていく。
 「あ!」
 隣で声がした。
 花が咲くみたいだ、なんてツナは思う。
 獄寺が、何度も何度もいつだって、ちょっと頬を赤くして満面の笑みでうれしそうに話しかけるから、彼の声を聞くとそんなイメージが頭をよぎるようになった。ただし、何を言い出すだろうという不安と一緒に。
 「10代目、けーさつとかどーっすか!」
 だって内容は、いつだって花どころか、爆薬より吹っ飛んでる。


 けーさつ? けーさつってあの警察?
 ツナが驚いて、アイスの最後の一口を落としかけたことなどちっとも気付かず、獄寺は一人満足そうに空を見上げて語る。
 「いやー。弁護士とか公安とかも考えたんスけど、やっぱ10代目なら正面から堂々と攻めるのがお似合いかと……」
 「ご、獄寺君、あのさ……」
 はい?
 と、彼は尻尾を振り回す犬の勢いで振り返る。
 「あのさ、本気で言ってるの?」
 「もちろん……」
 すうっと獄寺の目が細くなる。ほんの一瞬、笑顔ではない表情が淡い瞳の上を通過する。そして、ツナにしか見せない、あの満開の笑顔になる。
 「本気っスよ!
  だって10代目、マフィアはお嫌いなんでしょう? ボンゴレをぶっ壊すんでしょう? だったら徹底的にぶちのめしましょう!」
 ツナは、あきれて声も出ない。
 獄寺のことだから、「受験なんて裏口でどこでも入れます!」とか、さもなきゃ「今すぐイタリアに行きましょう!」なんて言い出すと思っていたのだ。
 それが、『警察』? ホント、何考えてんだこの人!?
 あきれた。
 大きく息を吐きだす。肩の力が抜ける。
 あれ? あきれてるっていうのかな、コレ。
 目は点になるし、開いた口は塞がらないし、本当にどうしようもない。でも、うんざりするような彼のどうしようもなさは、ちょっとだけ、心までまっさらに吹き飛ばしてくれる。
 できる、できないじゃなくて。真っ白な進路希望用紙のどこに丸をつけるかじゃなくて。どうやって運命から逃げるかじゃなくて。
 ツナはなんだか可笑しくなってきた。ひどく馬鹿馬鹿しいことを悩んでいるような気がしてきた。だから、笑いながら聞いてみる。
 「じゃー、もしオレがボスになって、しかもけーさつになって、それでもしボンゴレが無くなっちゃったらさ、」
 もし、の多さに笑ってるんじゃない。馬鹿馬鹿しくて笑ってるんじゃなくて、なんだっけ、この気持ち。
 ツナはなんだか懐かしい気がして記憶を辿る。そうだ。子供の頃、ヒーローごっこの役を決める時だ。
 ああ、オレ、わくわくして笑ってるんだ。
 「もしそーなったらさ、獄寺君はどうするの?」
 「自分は……」
 けれど、獄寺はツナとはいっそ対称的に、はっきりとこう言った。ほんの少しはにかみながら、ひどく真剣な表情で。
 「自分は、医者になります。」
 それは、なんの迷いもない口調だった。まるで、ずっと前から決めてあったみたいに。
 「半殺しでも何でも、徹底的にぶちのめして、二度と裏じゃ生きてけないカラダにしてやりましょう。そしたら、オレが全部助けて、10代目には誰一人殺させやしませんから。」
 ちがう。『みたい』じゃなくてきっと本当に決めてあったんだ。
 まじまじとツナは獄寺を見つめる。
 「そんで、全部終わったら地中海でもカリブ海でも、あ、もちろんここでもいいんスけど、のんびり暮らしましょう。どーせ裏のヤツラばっか相手にするんス から、せーぜーふんだくってパーッと楽に! シャマルみたいな変態ヤブにできるんスから、オレらなら楽勝っスよ。ね、10代目!!」
 白い胸元には、銀の鎖が絡み付いた髑髏が揺れている。彼の大げさな身振りにあわせて。
 ああもうほんとうに、何なんだろう、この人は。
 ツナは、笑いたいんだか泣きたいんだか分からなくなってきた。
 無茶苦茶だ。この人が来てから、おかげでオレの世界はめっちゃくちゃだ。
 「……リボーンもチビ達も、今ウチにいるみんなで……今みたいに?」
 「あ、アホ牛も姉貴もっスか?」
 獄寺は一瞬あからさまに嫌そうな顔をした。そして、本当に本気で考え込む。
 「わ、わかりました。10代目がおっしゃるなら、やってみせます!」
 ちょっとひきつった、無理ありすぎな余裕の笑顔に、ツナは吹き出した。
 うん、言うだろうと思ってた。
 いつだって、獄寺君は笑って言ってのけるから。いつだって大真面目に。できないことなんて何もないって風に。怖いことなんて、何にもないんだって。


 ツナは、半分涙目で笑っていた。
 何かおかしいことを言っただろうかと、獄寺は頬をかく。
「あの……ところで10代目。それ、落ちそうっスよ。」
 指差した先には溶けかけたチョコバー。
「うわ、やば。」
 話に夢中ですっかり忘れていた。
 ツナは慌ててそれを口に放り込む。甘ったるい味が口の中に広がる。
 「10代目、」
 獄寺が右手をツナの頬に伸ばした。
 「口の端、汚れてます。」
 親指の先でツナの唇の端に触れて、チョコレートを拭い取る。そして獄寺は指に付いたチョコをぺろりと舐めとった。
 まるでなんでもないような仕草だったので、ツナは逆に混乱する。
 口の端がひりひりと熱い。指先はもう離れているのに。手はつめたかった。指先はやわらかかった。けど、指輪があたってごつごつした。頬は、まだ熱い。自分の右手で触れて確かめる。
 そこでやっと、ツナは両手が空になっていることに気がついた。
 持っていたはずのアイスの残骸は、いつの間にか獄寺の左手に、空の炭酸のボトルと一緒になっている。
 獄寺はそのままスタスタとゴミ箱に向かい、ポイと捨てる。どうみても衛生的とは言い難い、汚れたゴミ箱に。
「……オレ、自分でできるのに、」
 背後から聞こえるツナの声はかすかに非難めいていた。
 どっちのことだろう。
 どっちでもいいか。どっちにしろ、譲る気はない。
 獄寺は、ツナの手が好きだ。だから、その手が汚れるのは嫌だった。
 そうだ。汚すんだったらオレの手だ。
 決意は揺らがない。
 オレは、あのお方の右腕になるんだ。
 獄寺は、高い青い空を仰ぐ。
 未来は決まっている。だから、どんな未来も仮定じゃない。
 「……にしても、暑いっすね。今日。」
 獄寺はニカッと、ツナに笑いかけた。ツナはやっと頬の熱が引いたところだった。知らんぷりを装って、肩にかけた鞄を担ぎ直す。
 誰のせいで暑いと思ってるんだろう。それに、獄寺君はちっとも暑そうに見えないんだけどな。
 そうは思っても、かっこわるいから曖昧に同意しておく。それから、ありがとう、も、今言うと面倒になるから今日の分はしまっておく。
 「……うん。まだもうしばらくは、夏だね。」
 一歩、歩き出す。未だ衰えぬ、永遠に続くような、日差しの下へ。
 「行こっか。獄寺君。」
 「はい!」
 追いかけて、彼は走り出す。そうやって、二人は歩いて行く。
 たとえばそんな未来に向かって。










| ・∀・)っ|) みょん。
獄寺さんはツナさんに惚れている。
ツナさんは獄寺さんに恋をしている。

と、いいな。
(自分恥ずかしい人だな。)






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