ShaggyDaddy



 「なー、Dr.シャマルー」
 高い声は、けれど女の声じゃない。
 振り返った後、さらに身をかがめなきゃならん位置にそいつはいた。
 「……なんだ、またお前か。」
 邪険に言ったつもりだった。が、まるで通じてないようで、そのチビは得意げににこにこ笑っていた。
 あーはいはい。お伺いいたしましょう。本日の撃墜報告は何ですか、はやとぼっちゃま。



 大体いつも、こいつは勝手に窓から入り込んで来た。ガキの頃からそうだった。
 その頃は、一応雇い主の息子なので追い出す訳にも行かず、適当に相手をしていた。そうしたら、一度、こっちがオイソガシイ時にまで入ってきやがった。
 『なにやってんの?』は、当時5歳にしちゃ名言だったと思う。
 ナニやってんだよ。入ってくんな。
 それっきり、一人でいるときは窓を開けておく癖がついてしまった。どうせこっちの都合はおかまいなしに入ってくるのだ。最初から開けときゃ手間が省けるし、閉めておけば少なくともノックのあいだ時間を稼げる。
 だから今日も、まるで当然のように、隼人は窓辺に現れた。
 「ヒマそーだな、ロリコン保健医。またフラレたか?」
 窓枠に片足掛けて、笑う。フェンスを乗り越え、生け垣をくぐり抜けて来たのだろう。高校の、グレーの制服の肩に木の葉がついている。
 「お前なぁ、せめてドアから入ってこい。中学ん時はそうしてただろうが。」
 「はぁ? 嫌だね、めんどくせー。遠回りだし。」
 隼人はそのまま室内に飛び降りようとする。
 「靴脱げ。ここは日本だ。」
 「じゃあスリッパよこせ。」
 「中学生のカワイー女の子用のしか置いてねーよ。」
 「言ってろよ、バーカ。」
 隼人は、中三で、やっと背が伸び始めた。身長こそ俺の方がまだ上だが、今では目線はかわらない。最近口の聞き方も横柄になった。
 なんでこんなかわいげの無いのの相手をせにゃならんのだ。
 面倒になって、来客用のスリッパを投げる。
 ああでも、ヒトのいない隙に保健室に入り込んで『タバコが及ぼす成長への影響』だの『改訂版食品栄養成分表』だのを真剣に読んでいたのは、ちょっと面白かった。それだってもう、卒業する前の話だ。
 あれが最後だったな。多少でもかわいげがあったのは。
 「で、何の用だ?」
 何か用がある方が珍しかった。窓から来る場合は、特に。
 「んー……」
 ぺたんぺたんとスリッパの足音が響く。来客用の椅子を選んで、隼人は我が物顔でそこに座る。
 「なぁ、シャマル。髪切ってくんねぇ?」
 「……はぁ?」
 隼人の髪は、特に伸びすぎているようにも見えない。いつも通り左右に分けて、器用に後ろ半分の毛先だけがランダムにはねている。
 「なんで今?」
 「……別にいーだろ。なんとなく。気分転換。」
 口ではそういうものの、隼人はむしろ上機嫌に見える。
 ボンゴレの小僧に褒められでもしたか? まさかな。
 「そもそも、なんで俺なんだ?」
 「オレ、今、金ねーの。」
 「お前なぁ、この前仕事してなかったか?」
 「あー、アレ? もう使っちまった。」
 「何買ったんだよ。」
 右手に見慣れない指輪があった。
 「まさかそれか?」
 指差すと、隼人は一瞬ムッとむくれた。
 「なワケあるかよ。オレだってもうそんな安くねーよ。
  買ったのは別のもん。これはそのあまりで買ったオマケ。」
 『オマケ』
 って、結局、指輪も買ったんじゃねーか。アホか、コイツ。
 「その金で髪ぐらい切れただろうが。」
 「いーんだよ、それとこれとは話が違ぇの。
  なー、どーせヒマだろ。シャマル、髪切って。」
 鏡もハサミもあるんだしよ。
 そう言って、隼人はじっとオレを見上げる。
 ああ、面倒くせぇガキ。
 何が悲しくてこんな野郎の髪なんか切らなきゃならんのか。
 「わーったよ、むこう向け。」
 俺はハサミを取り出し、備え付けの予備のシーツを隼人の肩に掛けた。
 「で、どーすりゃいいんだ?」
 「あー。どーでもいーや。短く。」
 「お前なぁ。真似っこの次はお任せかよ。」
 「知らね。あ、でもダサかったらぶっ殺す。」
 「やれるもんならやってみろってんだよ、ガキ。ったく、動くなよ。」
 隼人の髪は細い。手触りも悪くない。髪だけ見れば、そこらの女より上物だろう。
 ……でなかったら、絶対やらん。
 そうとでも思わなきゃやってられん。誰が好き好んで男の髪なんか切るか。
 こっちの思いを知ってか知らずか、隼人は黙って鏡を見据えている。
 さあ、どうしてくれよう。いっそ本当におかっぱにでもしてやろうか。
 そこで気がついた。
 ずっとこの髪型で見慣れてしまったから、他の形が思いつかない。
 参ったな。城の中庭の樹をよじ上って、体中葉っぱだらけにしてヒトの部屋のバルコニーに潜り込んできたあの頃から、隼人のイメージは全然変わっていなかったのか。
 もともと、隼人の髪は俺のとは真逆で、細くておとなしい性質の髪なのだ。無理に伸ばしてはねさせる方が手間がかかって仕方ないだろうに。適当に短めにして、適当にハサミ入れりゃあ、うまい具合に散らばるんじゃねぇの? 少なくとも、そっちの方が自然だろう。
 「ったく、責任持たねーぞ。」
 「心配すんな、あんま期待してねーよ。」
 だったら他をあたれよ。
 ため息一つついて、後頭部の真ん中あたりにハサミを入れた。シャン、と刃鳴りの音がして、はらはらと銀色の髪が落ちていく。開け放した窓から、かすかに午後の風が吹き込んでいた。



 後ろ髪は、粗方切り終えた。もう以前のような、指に絡む長さじゃない。が、何も言わないところを見ると、特に不満はないらしい。
 前髪ぐらいは自分でやれ、と言おうとしたら、隼人は目を閉じた。
 あー、はいはい、切りますよ。切りゃあいいんでしょう、隼人ぼっちゃま。
 前に回って膝をつくよりは、後ろから手を伸ばした方が切りやすそうだった。額を撫でるようにして前髪を持ち上げて、刃を当てる。
 シャン。シャン。
 またはらはらと髪が落ちていく。
 「……なあ、シャマル。」
 目は閉じたまま、隼人が口を開いた。
 「オレ、一度城に帰る。」
 手が止まった。
 刃鳴りも止む。
 最後に切られた髪が風に舞ってキラキラと光る。光って、落ちた。
 「だから今、金ねーんだよ。でなきゃ、誰がてめーなんざに頼むか。」
 「……そうか。」
 「うん、そう。」
 『分かったから、黙ってろよ。髪食うぞ。』
 そう告げるまでもなく、隼人は口を噤み、それ以上何も言わなかった。
 俺は再び手を動かした。残り、ほんの数回ハサミを入れると、隼人の新しい髪型は完成した。
 「ほら、出来たぞ。」
 隼人はゆっくりと目を開ける。
 「なかなかイイ男なんじゃねーの? まあ、俺には負けるけどな。」
 「……言ってろよ。」
 ばさっと、肩からシーツを落とし、隼人は立ち上がった。
 「ありがとな。じゃ、オレ行くわ。」
 なーにが、じゃあ行くわ、だ。
 「隼人、床。」
 「あ、悪ィ。」
 何も考えずにシーツを落としたから、床中髪だらけだった。
 隼人は突っ立ったまんまで、結局俺が身をかがめてシーツを拾う。
 「まあ、お前にソツなく後始末なんか期待してねーよ。さっさと行ってこい。」
 「ちぇ。」
 頭上で舌打ち。俺は立ち上がる。その肩に、急に重みがかかった。
 「おい、隼人?」
 肩に腕を回された。右の頬に、隼人の唇が一瞬触れて、離れた。
 「……残りは、出世払いな。」
 ぱっと腕をほどいて、隼人はにやっと笑う。
 「じゃーなっ」
 言い残して、ひょいと窓枠を乗り越えて、隼人は去っていった。
 まったく、昔っから身勝手なガキだ。
 鏡に、俺と、無人の椅子だけが映っていた。
 ああ、もう、ガキじゃなかったか。
 まったく、身勝手なヤツだ。
 








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 獄寺のパパさんはシャマルだと思うんだ。