くらい。



 合意の上でするときは、事前に準備を済ませてくるらしい。彼は触れられることを拒まない。あくまで、拒まない、程度だけど。
 準備っていうのが、具体的に何をすることなのかはいくら聞いても教えてくれなかった。勝手にネットで調べたら、読んでるだけで腹が痛くなりそうなことが書いてあった。そんな彼の献身的な努力のおかげで、オレの指は彼の内壁に直に触れることを許されている。
 もっとも、いまさら馴らす必要もないぐらいに、彼の手でそこの筋肉は緩くほぐされているんだけど。
 固く冷たかった潤滑剤はとっくに融けて、指先に絡むものが人工のものなのか彼の体液なのかもわからなくなっている。
 体中、中も外も、じっとりと汗ばんでいる。
 つうっと、掻き出すように一筋なぞった。びくりと彼は震える。眉根を寄せて、吐き出した息に音が混じる。
 彼は恥じたように奥歯を噛んで息を止めた。全身が固くなる。中に入ったままの指がきゅうと締め付けられた。
 そのまま、そっと押し広げるようになぞる。それだけでそこは従順に、またゆるゆると広がって受け入れる余地を作ろうとする。
 板挟みになっているのは「彼」だった。まるで、首から下の反応は自分の所為じゃないという様に、身を捩って顔を背ける。噛み締めた奥歯が緩んだ。その隙に、またそっと刺激する。
 あ、と声を上げた。その頬を一滴涙が伝って落ちた。
 「……獄寺君て、いっつも泣くよね。」


 触れられるのは苦手だ。
 向かい合ってするのも嫌だ。
 さっさと突っ込んで終わりにされるほうが処理だと割り切りやすい。
 なんで、この人はこんなにオレなんかに触れたがるのだろう。
 いいかと問われて、拒否は出来ない。後ろは壁で逃げ場もない。おまけに今日は、両膝を自分で抱えて持っているようにと命令されてしまった。
 なんて恰好だ。この御方の命令でなければ、誰がこんな恰好をするものか。なのに、なんでそんな姿をよりによってこの人の前で晒しているんだ?
 浅いところをゆるくなぞられて、だんだん意識がぼやけてくる。
 深いところまでは踏み込まない。痛いことも酷いこともしない。やわらかく触れられて脳が融ける。太腿を抱えた手の平に汗が溜まっていく。
 ぎっと力を込めて掴んで、どうにか意識を引き止めていた。それでも、どろどろと溶けていく部分がある。頭の奥が、熱くてどろどろに溶け出して、流れて落ちる。
 頬を一滴、涙が伝った。
 獄寺君て、いつも泣くよね。
 自覚はなかった。
 ふつりと思考が途切れた。
 「……ごめん、もしかして痛かった?」
 むしろ、その逆。
 もう少し痛ければ、苦痛ならよかったのに。こんな呆けた、不様な姿を晒さずに済む。でもまさか、もっとひどくしてくれなんて言えない。
 「……平気、です。このぐらい」
 しまった。
 額がつくほど近くに寄せられたその人の顔が、一瞬曇る。
 どうしよう、困った顔をさせた。
 どうしよう……。
 頭はまともに働かない。
 「あの、本当に、平気、なんです。」
 呂律ももう回らない。ひどくのろのろした喋り方になる。
 情けない。
 怒りよりは、諦めに近い。けど、それですらない。
 頭のなかは、溶けて空っぽだ。
 「オレ、は、大丈夫、ですから」
 空になった頭で繰り返す。言い募る。
 その間も、ぽろぽろと頬を転がり落ちるものがある。
 ああ本当だ。なんだ、これ。


 『なんだこれ?』って、まるでわからないってカオした獄寺君の頬を、またつうっと涙が伝う。
 空いている左の親指で拭ってぺろりと舐めた。
 しょっぱい。やっぱり涙だ。
 「知らなかったの?」
 「……は……い。」
 途切れがちに深く繰り返される呼吸のせいで、吐息混じりの掠れた声になる。苛々したように微かに眉根にシワが寄る。
 かわいいなぁって、思うんだ。
 ヘンかな、オレ。
 「こっちおいで。」
 投げ出したオレの膝の上に誘った。
 獄寺君は動かない。でも、と眼差しが問う。
 「足は、もういいよ、抱えてなくて。閉じたくても、もう力入んないだろ?」
 ほらおいでと手を伸ばす。
 獄寺君はどこかあきらめたように、のろのろと脚を放した。膝がぱたんと崩れてベッドに落ちる。白い腿の内側にくっきりと指の跡が残っている。
 背中に腕を回して呼び寄せる。
 立ち上がるのは無理だろ?
 軽く前傾させると、彼はベッドに両腕をついて中途半端な四つん這いの姿勢になった。そのままずるずると低い姿勢で這うように近寄って、指示されるまま、 オレの膝の上に腰を降ろす。役目を終えて、腕はだらりと垂れ下がる。けど、次の瞬間、指先が白くなるほど強くシーツを掴む。内で当たる位置がずれたから だ。
 強張った手を取って、オレの背中に回した。同時に指を少し奥に進める。
 背中で、獄寺君が手を握りしめたのがわかった。
 「背中、使ってくれていいのに。」
 縋り付いてくれればいいのに。
 この前は、終わってから見たら、彼の両手は握りしめた爪の跡だらけだった。
 「でも、10代目の……お体に、跡が……」
 「見えないところならいいよ。」
 背中に、ひやりと熱い手の平が張り付く感覚。
 それは、オレの指の動きに合わせて、きゅっと引き寄せては慌てて脱力する。
 「、10代目……あの、もう……」
 焦れたような声。
 二人の間で、擦れ合う部分が、オレだってさっきからじりじりしてる。けど、
 「んー……やだ。もーちょっと」
 獄寺君は、そんな、さえ言わない。代わりに、くちゅ、と濡れた音がした。
 オレの肩に温かな雫が落ちる。
 「獄寺君、痛いの?」
 「……へーきっス……」
 そう答えるだろうと思った。
 「じゃあ、きもちいい?」
 ほらやっぱり、返答無し。
 代わりにまたぽたりと雫がオレの肩を濡らす。
 もう呼び方は10代目でもなんでもいーよ。君がオレの右腕になりたいんなら、それもそれでいいよ。トラブルも暴走も、食い止めて切り抜けてみせる。
 でもオレ別に、君のボスになりたい訳じゃないんだ。
 「ねえ、もしかして、獄寺君さ、」
 耳元で訊いてみる。
 「オレとするのキライ?」
 「なっ、」
 さすがにこれは、我に返ったみたいに慌てて身体を引き離して反論する。
 「まさか、そんなことないです!」
 「じゃあ、スキ?」
 「…………」
 ほら、予想通り。獄寺君はまた目を逸らして押し黙ってしまった。
 オレは彼を抱きしめる。
 獄寺君は何でもオレにくれようとする。そのやり方だってあんまり上手じゃない。ほとんど押し付けるみたいだ。けど、でも、もらうのはもっと下手だ。受け取るのが、どーしよーもないくらい破滅的に下手だ。
 だから抱きしめて、絶対逃げられないようにして、聞き漏らさないようにして、ちゃんと届くように。彼が受け取れるように。
 「ねえ、獄寺君てさ、」
 耳元で囁いた。
 「幸せだと不安になるタイプでしょ?」
 ああ、獄寺君のカオが見たいな。
 きっとすごく驚いたカオしてる。
 でも、ぴったり抱き寄せられた体温が、気持ち良すぎて放せられない。
 だから、耳元に囁く。
 「ねぇ、大好きだよ。獄寺君。」
 そっと赤くなった耳を噛む。
 「だから、オレ以外の前で、こんな風に泣かないでね。」
 またぽたぽたと温かな涙が落ちて、はい、と彼は掠れた声で呟いた。













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