ふたりの場所 -04- Posso aiutarla? 英語なら Can I help you? わたしに、何か手伝えることはありますか? どこの国の言葉にもありふれてるのに、日本語には無い真っ直ぐな問いかけ。 自分の国の言葉を聞くのは久しぶりで、おまけに、何度も耳にしたはずの言葉なのにこんな風に優しく訊かれるのは初めてで、咄嗟に答えが出ない。 初めて言われたような気がする。 まさか。 いくら自分でも、一度ぐらいは言われたことがあるはずだ。 記憶を漁ったら指先に触れるものは何も無くて、獄寺は胸の中の空っぽに気付く。空っぽに、今、初めてそれが入った。 その声を拾った耳がじりじりと熱を持つ。 最初の一人だ。 またこの人が最初の人だ。 本当に初めてかどうかは問題じゃない。こうやって吹き込まれるたびに書き換えられて、いつだって、また、この人が最初の人になる。 言葉を吹き込まれた耳が熱い。それを飲み込んだ胸が熱い。たった一言で全部書き換えられて、再構築をはじめた脳が熱を持つ。 目の奥が熱い。またぼろぼろ涙が出てくる。音もなく、ただ涙腺に穴を空けてそこからなにかを吐き出しているように。痛くも悲しくもないのに、流れ出して止まらない。 結局、何をされようとこの人しかいないんだ。 「……っ、」 逆らえない自分が悔しくて顔を伏せた。 髪を撫でられる。 頭を包む大きな手はまるで全部見透かしてるみたいで、見透かされている自分が悔しいのに、すごく気分がいい。広い胸に額を預ける。 未来においてきた子猫のことを思い出した。 気位の高い子猫は、獄寺以外にはたまに毛並みを撫でさせたりして、そうするとゴロゴロと満足そうに喉を鳴らしたのだ。 『ほら、獄寺君も』 京子やハルに勧められて、おっかなびっくりツナもその小さな頭を撫でた。瓜はぎくしゃくした手付きに一瞬薄目を開けてその手の主を確認し、まあ許してやるかと言うように目を閉じた。 それで自信を持ったのか、ツナは今度はもっとちゃんと、ツンと立ち上がった二つの耳の間からふっくら立ち上がった背骨の膨らみまでを撫でて、それから獄寺に声をかけたのだ。獄寺君も、やってみたら、と。 瓜が目を閉じている隙に交代して、そろそろと獄寺が指を伸ばした途端、瓜は跳ね起きた。毛を逆立てて威嚇する。止める間もなく飛びかかられてひっかかれた。結局獄寺は、一度も撫でられないままだった。 獄寺には、ちくちくした猫の毛に触る手触りは想像もつかなかったけれど、触られる感覚はよくわかった。 するすると角が取れて、身体が透明な一つのものになっていく気がする。 瓜が獄寺にだけは撫でさせなかったのは、きっと、持ち主は自分と同じだとバレていたんだろう。すごく気持ちのいいことはしてもらうほうが性にあってて、してやるのはヘタだと。 するすると絡まり合った毛並みが解けていく。 Posso aiutarla? いいえ。10代目。 なんにも要らないです。ただ、もう少しこうやって一緒にいてくれれば。 だって今、すごく気分がいいんです。10代目。 呼びかける。記憶の顔は、瞬きするたびに幼くなった。 何だかまた泣きたいような気持ちになった。 あの日、手を取れなかったから、ずっとふたりの距離はぎくしゃくしている。顔を合わせてはいるけれど、ずっと会っていないような気がする。こんなんじゃダメだと思いながら、二人とも動けないままだ。 獄寺の知るツナは、こんな大人じゃない。 イタリア語なんか喋れない。弱っている自分にあわせて、優しい言葉をくれるような、こんな気の利いた気遣いはできない。 全然子供で、お互いにどうしたらいいかわからなくて、ぎくしゃく目も合わせられない日を続けている。 ゆっくりゆっくり思い出す。記憶の中でツナが笑う。 獄寺はほんの少し、そっちに心を傾けた。それだけでこんなに胸の中があたたかくなる。ズタズタだった心をふんわりと包んで、ひび割れからにじみ出ていた涙も止まる。 10代目だってやさしい。 イタリア語どころか中学の英語も、もしかしたら日本語も怪しいけど、それでもやさしい。 やさしいんだ。 帰るところは決まっている。 最初からこの人だって決めていたのに、何を今更躊躇っていたんだろう。 するりと絡まっていた糸が解けた。 覚悟が決まると、うじうじ悩んでいた自分が腹立たしくなってきた。 取り消したい。今まで、つまらないことに怯えて躊躇っていたのを全部。 申し訳なくていたたまれない。いたたまれないので原因を探す。 だって不安だったのだ。10年後の世界で死んでるだの生きてるだのごちゃごちゃと。人騒がせ極まりない。 思い至ると、それが全ての原因のような気がしてきた。 大きな手は変わらず自分をあやすように撫でている。それはすごく気持ちがよくて居心地がいいのだけれど、でも なんとなくムカムカっとしてきた頭をまたするすると撫でられる。やっぱりすごく気持ちがいいのだけれど、まるで子供扱いだ。 嫌なら振り払えばいい。なのにされるがままになっているのは自分の甘え……でもあるのだが、面倒なので目を背けることにした。 広い肩も少し低くなった声も、そのくせ全然変わらないどこか照れたような笑い方も そうだ。そう言えばこの妙に落ち着いた態度、跳ね馬に似ている。無理矢理こじつけて、自分の心をムカつくの方に傾ける。 借りてきた猫みたいに大人しくしている。と思ったら、猫はそこを居場所と決めたみたいで、急にふてぶてしくなった。 「獄寺君?」 呼びかけると、猫はぴたりと寄り添わせていた身体をわずかにもち上げた。俯いたままくぐもった声で問いかける。 「……Posso aiutarlaって、言った……?」 「うん。」 「なら、」 一つ呼吸をおく。胸に両手をついて身体を引き離す。けれど、顔は俯いて隠したままだ。 「責任、取れ。」 「…………え?」 流石にわけがわからなくて、綱吉は聞き返した。 獄寺は紅潮した頬を隠したまま、無理矢理肩を怒らせてぼつぼつ途切れがちに喋る。 「…嫌いで、置いてったんじゃないって…証明しろ…よ。オレのこと、本当に、」 「好きだって証拠見せろって?」 先回りして言うと、獄寺はそれ以上言えなくなって口を噤んだ。Tシャツの襟首からのぞく肌が紅く上気している。薄暗やみに、ほんのり光って見えるほど。 「それは……構わないけど。どうやったら信じてもらえるのかな。」 獄寺は答えず、一歩身を寄せてツナのシャツのボタンに指をかけた。 聞き返すのはかわいそうなのでやめておいた。「はい」なんて言わせたら心臓を破裂させて死んじゃいそうだ。 まったく。また斜め上に突拍子もなくベタな発想で、獄寺らしい。そんなやり方以外思いつかないんだろう。 綱吉は彼の姉と育ての親の顔を思い出して、もう一度まったくもう、と思う。どういう教育してきたんだあの二人。出来るなら13じゃなくて3歳の頃から手に入れておきたかった。 上擦った命令口調も、緊張して小さく震えている指先も。 不器用でも遠回りに真っ直ぐに、いつだって、前に進もうと必死なんだ。 愛しい、と思う。 愛しい。抱きしめてキスしてめちゃくちゃに愛してるって伝えたい。 ちらりと10年後の獄寺が脳裏をよぎったけれど、大人の彼は何も答えなかった。 けれど子供の獄寺は、広めにボタンを外したシャツの前あわせに指をかけて、 再び問いかける。怒るか拗ねるかしそうな気がしたけれど、綱吉には目の前の子供も脳裏に浮かぶ面影も同じ人物に思えた。 「……いいよ。」 穏やかな声に、獄寺がびくんと肩を震わせた。 「オレがどれだけ獄寺君のこと大事に思ってるか、教えてあげる。」 Next 05 .09.09.15 BackIndex |
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