フイウチストレート 触れる瞬間、びくっと首を竦める仕種が好きだ。 ぞわっ、と頬の産毛が一斉に逆立って、あっという間にてろんと解ける。 緊張が解けるのは、触ったのがオレの指だと知ってるからだ。 ちょっと優越感。 ……このぐらいは、いいよね? このくらいのちっぽけな自信、持っていいぐらいには、オレは彼に受け入れられていると思う。 オレは彼にとって特別で、特別だからこそ、受け入れられていると思う。 たぶん、このレベルに到達しているのは、きっとこの世でオレだけ。 (このぐらいは自惚れてもいいよね。) そのまま肌を撫でると、彼はオレから目を逸らした。まるで居心地悪そうに。 「獄寺君、オレに触られんの嫌?」 「そんな!」 叫んで、目が合って、逸らされる。 声がしぼむ。 「そんな、いやなわけ、ない……です……」 最後の『です』なんて掠れて聞こえない。 「なんかこれさ、喧嘩の始め方と似てるね。」 『獄寺君の。』 心の中で限定条件を付け足した。 「ケンカ、すか? 似てますか?」 「似てるよ、双方合意取らなきゃ始めらんないとこ。」 はあ。と、獄寺君は生返事。 「獄寺君、手を出す前にちゃんと『やんのかてめー』って言うもんね。腹立ててもいきなり殴ったりしないよね。」 そして、いざ喧嘩するとなっても、彼が使うのは爆弾だから彼の手は誰も殴らない。遠くに吹き飛ばすだけで、彼は誰にも触れない。 獄寺君は、実はとてもお行儀がよくて、潔癖症なのだ。彼には誰も近寄れないのだ。近寄らせてくれないのだ。 うん。 うにゅうと頬をつねってみたら、獄寺君は「ふひゃ、」とへんな声を出した。 「ひゃになひゃるんれひゅか、うゅーたいめ」 「ん? ちょっと、つねってみた。 ほっぺた、ヒカシボー薄いね、獄寺君。ちゃんとご飯食べてる?」 ぱ。 手を放すと、彼の頬は赤くなっていた。 残念ながら感情的なものではなく、主に物理攻撃のために。 獄寺君が手の甲で頬を擦る。オレの指の痕はすぐにぼやけてしまった。 それでも彼はまだごしごしとこする。紅い部分が広がっていく。 「痛かった?」 「い、痛かないスけど……、言ってからやってください。その、心の準備が。」 斜め下に目を反らして、彼は困っている。片頬の赤はすっかり彼の中に刷り込まれてしまった。当分消えなくなってしまったオレの跡。 嫌だけど、嫌じゃないから困ってるんでしょう。 だから不意打ちは愉しい。 「獄寺君て、マフィア向いてないよね。」 「なあっ!!!!!!」 目を真ん丸に見開いて、身を乗り出して、彼はドンと手を突いた。 「そんなことないです、そんなはずないです、ありえないです! 至らないところがあるなら改善します、すぐします、おっしゃってください!」 「えー?」 いやだ。 改善されてしまってはつまらない。かわいくない。 「いいよ、そのまんまで。」 「よくないです!ちっともよくないです、10代目の右腕たるものがマフィアらしくないなんて!」 「その10代目がいいって言ってるのに。」 「言ってって、だって……、です、が…………」 獄寺君はジレンマとゆー罠に追い込まれてしまった。右手がわなわなしている。 ああ、オレが10代目じゃなかったら、あの手はまっすぐにオレの胸倉を掴んで、いいから教えやがれって怒鳴るんだろう。それでもへらへら笑って教えないと(例えば山本みたいに)、彼はダイナマイトに火を付けるだろう。 いやそれとも、殴る、かな? ランボ相手だったら蹴っとばすよね。 あーあ、オレ、ランボか山本になりたい。 泣くか、相手しないで宥めるか。そうしてもっと怒らせて、喧嘩してみたい。 殴ってくれないかな。 それは、実は、ものすごくレアなんだ。そんな距離で彼から触れてくれるのは、ものすごく特別なんだ。 「……今のまんまでいーよ。」 でもオレは意気地なしなので、『10代目』の地位を捨てて獄寺君と喧嘩できるポジションを目指す勇気はない。 それに、オレは臆病だから、獄寺君みたくケンカ売ってから殴るなんて無理だ。 何にも言えずに、不意打ちばっかりの卑怯者。いつだって、大事なことを言う決心がついたときには、もう戦いは始まっている。手遅ればっかりだ。 じいっと、自分の手を見た。 オレは、この手で、もう結構殴ったよな。何回だろう? 数えられない。なのに、ちゃんと喧嘩売ってから始めたことは、ない、なあ……。 「獄寺君は、今のまんまでいいよ。」 オレたちは、まるで正反対だ。あ、そーだ、じゃあ。 「じゃあ今度からさ、まずは獄寺君が喧嘩売る役ね。そんで、引き下がってくれなくて本当に喧嘩になったら、オレが殴る役。 ね。ぴったりだろ。マフィアとしては、なんにも問題ない。」 「はあ、まあ……10代目がおっしゃるんなら。」 「なんだよ。文句あるの? オレの、」 照れ臭いので、一呼吸。 「右腕さん?」 「ないです!」 笑顔だ。こちらは息継ぎする暇もなく。 「ないです。ぜんぜん、ちっとも、これっぽっちも!」 「うん。」 これで解決。 ……ところで。 これで、誰かと喧嘩しなきゃいけないときは、獄寺君に正々堂々喧嘩売ってもらうことになったのでいいのですが、さて。 オレが獄寺君に用があるときは、どうしたらいいんだろう。 『その髪に、触れてもいいですか?』 ひぁ、と、一歩だけ獄寺君が逃げた。 だから、オレは意気地無しの卑怯者なんだってば。不意打ちしかできないんだってば。 前髪を引っ張って俯かせる。 『キスしてもいいですか?』 彼の息が止まった。かち、と奥歯がきつく噛み合わされた音。驚いたんだろう、長い睫毛が跳ね上がった気配。きっと、見開いた灰色の目には、超至近距離のオレが映っている。 最初に緩んだのは奥歯だった。 繋がった奥に、薄く隙間が開いた。舌でつついたら入れてくれた。 彼の背中から力が抜ける。広い肩がほんのちょっと丸まって、オレのほうに。 獄寺君が、目を閉じた。 オレは、頬で彼の呼吸を知る。ゆっくりと再開された吐息を数えて、これで彼はオレのものだ、なんて思う。 ねぇ、オレは結構マフィア向きかもしれない。 正面から喧嘩売る度胸なんてないくせに、不意打ちして手に入れるのは結構好き。ひどいやつだろ? 一度放したら、酸素を求めて獄寺君が喘いだ。その隙をまた奪う。一瞬彼の身体が強張る。でも、すぐに解ける。 ねぇ、オレは、お行儀よくてビビり屋で潔癖症で、ちっともマフィアらしくない君が大好きです。 ねぇ、でも、オレは意気地なしだから、言えない言葉はどうしようか。 マフィアのボスにも、不意打ちしても、手に入らないものだってあるんだよ。ねぇ。 『たまには君から、オレに触れてくれませんか…………?』 08.08.02. back |
||