MOON PHASE シチリアは島だ。 周囲を海が取り囲んでいる。 青い海だ。 海は青いものだと笑うだろう。 違う、イタリアの海は青い。晴れの海は青く透き通り、月の海は青く深い。 白い月が凪いだ海に光る道を創って、空の果てに誘う。夜の果てに誘う。 夜半、ぶらりと砂浜に降りた。逃げてきた。 また逃げてきた。 あの人が好きだ。どうしようもなく好きだ。 頬に触れられるのが好きだ。威嚇するみたいに逆立てた髪をぐちゃぐちゃに乱されるのが好きだ。やわらかいところからぐずぐずに崩されて、壊れた身体を抱きとめられるのが好きだ。食われた身体を抱き上げて、耳元で愛してると囁かれるのが好きだ。 すきだ。どうしようもなくすきだ。 だから、こわい。 怖くなってオレは逃げる。 今頃、あの人はオレを探している。無人の部屋のドアを開けて、きっと呆れてる。 オレも、あの人を探してる。逃げたくせに。足首まで月の道に身体を浸して、背を向けたくせにあの人を待っている。これ以上先に進めない。 あの人が好きだ。あの人が好きで、好きで好きで見つけて欲しくて、死んじまいたいくらいみっともない。みっともない自分さえよくわかってるから、これ以上先に進めない。 オレはオレで居たい。右腕でも恋人でも、名前はなんでもいい。傍に居たい。オレとして、傍に居たい。叶わない。 オレの望みは叶わない。オレの願いはあの人の前では簡単に折れて、あの人には敵わない。 負けるのが嫌いだった。なのにあの人の前ではそれすら陶酔に変わる。負けることに慣れてしまう、オレが怖い。いや、負けることに快感すら覚えてる。 強くなりたい。強くありたい。これは、オレの矜持。積み上げてきたたった一つのオレのプライド。 あなたが好きです。オレはオレとしてあなたが好きです。だから、あなたから逃げる。 受け入れろよ、認めろよ。オレはどうしようもなく、あの人が好きなんだ。全部捨てても、いいと思うくらい。 キシン、と胸の奥で歯車が軋む。 無理だ、これだけは、これだけがオレの矜持。 オレを好きになってください。オレのまま好きでいさせてください。なんで、それすら叶わないんだ。 十代目。 オレは、苦しいんです、十代目。せめて せめて、あとほんの少しでも、あなたを嫌いになれたらいいのに。 「何やってんの? 獄寺君。」 振り返ると砂浜にその人が立っていた。 「……散歩です。」 「こんな夜中に、膝までジーンズ濡らして? 随分本格的だね。」 「靴は脱ぎましたよ。」 「それ、日本人の感覚では逆に不吉だよ。」 くす、と、その人は笑った。 月光が射込んで、色素の薄い目が金茶色に光る。光って、細められた睫毛の合間に消える。 それだけで、ぞくりと身体が震えるんだ。 この人が好きだ。何度も何度も自覚する。 すきですきでどうしようもなくて、逃げたくて逃げられなくて怖い。 戻れと言われたら、帰っておいでと言われたら、すぐにでも駆け寄って、オレはオレの身体なんか投げ出すだろう。 なあ、オレの望みはそんなんだったか? 愛されたくなんかないんです。オレをオレとして、好きになってください。これは、オレの矜持。もしそれが叶わないなら、オレは…… 「獄寺君。」 柔らかな声でその人はオレを呼ぶ。 「オレは君が好きだよ。君が、好き。だから、君を縛りたくないし、きみを造りかえてまでオレのものにしたいとは思わない。」 でもね。 彼は小さくため息を吐いた。月の道の果てを指差す。 「でも、オレ我が儘だから、それ以上先に行ったら掻っ攫うよ。」 いっそ悲しそうな、不敵な笑み。 「十代目それは、」 砂浜に、手を伸ばす。 「我が儘じゃなくて暴君です。」 すぐに、捕まえてくれる。抱き寄せられて、弾む息の下で口付ける。柔らかな指がオレの頭をかい寄せて、ぐしゃぐしゃと髪を乱す。短い息継ぎ。角度を変えて、口づけは深くなる。 ほらこんなに簡単に、オレの身体は溶けていく。身体の奥から波の音がする。 いっそ、このまま水になりたい。 寓話の人魚みたいに。このまま泡になりたい。 望みは叶わない。どれだけくずされても、オレはオレのまま。 夜が明けたら、オレはオレを怖れるだろう。 あなたが好きです。 好きで好きでどうしようもなくて、あなたがいればオレなんていらないと思ってしまう。ちっぽけな矜持だって捨ててしまう。 いっそこのまま泡になりたい。オレは、オレから逃げたい。 「縛りたくはないんだよ。でも」 耳元に柔らかな声。背中に回された手が、シャツの背に爪を立てた。 「ごめん。君が居なくなるのは赦せない。」 ああもう、どうしようもない。 そんな声であなたが望むから、あなたには敵わないから。 オレは逃げられないんだ。 「……行きません、どこにも。」 あなたが好きです。 それだけで全部捨ててしまう。 オレは、オレが怖い。 09.05.13. back |
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