ShaggyDaddy -goes on-



 アイツが一時帰国して……いや、正確には勝手に並中保健室に現れて髪を切れとわがまま抜かして去っていってから、3週間。
 シャマルは再びばったり隼人と出くわした。
 時刻は夕方、子猫ちゃんな女子中学生から女子高生、女豹のごときおねえさまへと道行く女の子達は時々刻々姿を変えていく時間だ。シャマルは適当に保険医の仕事を切り上げ、白衣を脱ぎ捨て街に繰り出すところだった。なあに、学校の方は心配ない。放課後のこの時間、保健室にあらわれるのは怪我した汗くさい運動部員ぐらいで、やつらはみんな治療方法も消毒液の在処も心得ている。
 そんなわけで、シャマルは鼻歌混じりに校門を出た。そして、隼人に会った。
 先に見つけたのは隼人の方だった。
「よお。」
 言って、隼人は寄りかかっていた校門から身を起こした。
 珍しくこざっぱりとした仕立てのよいシャツに身を包み、そしてそのシンプルなピンストライプのシャツ同様、隼人も妙に神妙な顔をしていた。
「なんだ、隼人、」
 シャマルは一瞬虚を突かれた。
 なんだなんだ? この前は植込み乗り越えて窓から飛び込んで来たくせに、今度は大人しく校門で出待ちってか。
「お前、戻ってたのか。」
「ああ。今日の午前の便でな。着いたばっかだ。」
「そうか。」
 首尾については聞かないことにした。隼人の足下には踏みにじられた吸い殻の一つさえ散らばっていなかった。それで十分察しはつく。
 勝手のヒトの部屋に乗り込んで来て、ぎゃーぎゃー喚くようなぼっちゃまは、もうここにはいないのだ。
 そして、置いていかれた不良中年は小さな喪失感を皮肉に代える。
「で? 何だ、その馬子にも衣装は。あ、さては女……なわけねーか。どーせボンゴレ坊主のとこだろ、やだねー、さびしーねー。」
 言いながらべしべし隼人の頭を叩く。3週間前に切った髪は少し伸びてまとまりがよくなっていた。シャギーを入れておいた細い毛先が無造作に、風に踊るように撥ねている。その不遜さが、年齢不相応な高価なシャツまでも、若い野心や恐れ知らずの心を誇示する道具に変えてしまっている。
 やれやれ、ヤなガキはすっかりヤな男になってしまった。
「おい、やめろよ、さわんな!」
「切れとかさわんなとか、ほんとわがままぼっちゃまだな。」
「うるせえよ。」
 隼人は一歩後退してシャマルから逃げる。距離を取れば、もう頭上を押さえられる事のない体格差だ。
「あー、くそ。ぐっしゃぐしゃにしやがって、」
 隼人は口をへの字に曲げた。
「10代目はまだ学校だからな。ご挨拶に行くのはこれからだ。で、ついでに先に、てめーに用があったんだよ。」
 乱された髪を整えて、隼人は息をつく。
「…………イタリア、縁、切りにいったつもりだったんだけどよ、」
 短くなった前髪を持ち上げて光に翳す。毛先がキラキラ光っている。
「……出来なかった。」
 指を放すとはらりと髪が落ちた。その光を追うように、隼人の目も地に向かう。俯いて自分の陰を見つめている。けれど、その髪の長さでは、もうどんなに俯いても表情を隠してはくれない。砦はもうない。
 オレが、そうなるように切った。
「出来なかった。やっぱ、オレの父親はあの男なんだな。」
「後悔してんのか」
 ハッ、と、隼人は笑った。アスファルトを蹴り上げる。じゃり、と、小石の軋む嫌な音がした。
「じょーだんだろ。」
 再び上向いた顔は不敵に笑っていた。
「せいせいしたぜ。じゃあこれからあいつは、オレの死ぬ迄大っ嫌いな糞親父だ。とことんボンゴレ繁栄に利用してやらぁ。」
 利用する、協力を取り付ける。それには対話が不可欠だ。武力によるやり方もあるが、次のボンゴレはそれを好まないだろう。それは、つまり、
 和解したんだな。
 シャマルは両手をポケットに捩じ込んだ。この毛むくじゃらの手は、もうこいつには不要だ。なら…………、
 とっとと切り上げて、かわいい猫ちゃんを探しに行こう。
「よかったな。おめーにしちゃ、まずまずの御手柄じゃねーか。これであの城も資産も行く行くはお前のもんだしな。とっととボンゴレ坊主のとこ行って褒めてもらえよ。」
 くるり、シャマルは身を翻す。
「じゃーな。オレは忙しいんだ。」
 振り返りもせず歩き出す、つもりが、シャマルはそのよれたスーツの背を引っつかまれた。
「待てよコラ行くな、この変態ヤブ。話はこっからがなんだよ。」
 隼人の声が、急に温かな怒気を孕む。
「てめー、この髪切るとき、確かに『真似っこの次はお任せか?』っつったよな。馬鹿にしたよなあ?」
 そう。それでセンターパーツのオカッパはやめて、軽目に前髪を作った。
 だから、振り向くと隼人のギリリと吊り上がった眉がはっきりと見て取れた。
「なんだよこれ!! ちょっと伸びたら真似っこどころかまんまてめーとおんなじじゃねーかよ!」
「おいおい、任せるって言ったのはおまえだろーが。」
「うっせーよ、このだっせーへったくそ! あの前フリは何だったんだよ!」
「あーあー、心配すんな。色も違うし、髪質もちがうし、お前のは後頭部で盛大に撥ねてっから誰も気付かねーって。ほら。」
 シャマルはポケットから手を取り出し、またくしゃくしゃと隼人の髪を乱す。
「だーかーら、やめろっつってんだろ!」
 隼人が両手でその手を引きはがす。引き剥がして、頭上数センチで固定して、なぜか、ため息をついた。
「じゃ………別に、わざとじゃねーのか。」
 ほんの微か、その声は落胆を含んでいた。力の抜けた隼人の手から、シャマルは自分の右手を取り戻す。
 あいっかわらずわがままで自意識過剰だが、いい線いってるぜ、隼人ぼっちゃま。
 シャマルは俯いた獄寺の頭をぺしんと叩いた。
「気にいったんならいつでもまた切ってやるぜ。じゃーな。」
『なっ』背後で隼人が息を飲んだ。顔は、きっと紅い。
「ざっけんな! 誰が頼むか! そっちこそ無惨にフラれて宿無しになりやがれ! 一晩ぐらいなら泊めてやらぁ!」
 剣幕に、シャマルはひらひら手を振って答えた。
 隼人にも、その父親にもまるで似ていない毛むくじゃらの手だ。
 でもまだ、しまうには早いかもしれない。
 駅前繁華街に向かう道を、シャマルはぶらぶら手を揺らしながら歩いていった。





08.07.19.
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