ふたりの場所 -02-



 銀髪碧眼で思春期を絵に描いたように不機嫌そうな少年と、対称的に温和そうで恐ろしく品の良い、しかしホストのような格好の青年。というちょっと周囲の空気から浮いた二人連れは店員にも居合わせた客にも絶大な好奇の目をもって迎えられた。けれど、それを除けば、おでんという選択は正解だった。予算350円でもどうにかなる。
 それでも綱吉は遠慮してか値段の低いものを中心に選んだ。
 大根、昆布、白滝。
 よし、どうにか予算内に収まりそうだ。となったところで、そおっと切り出す。
「……ね、獄寺君。もち巾着も食べていい?」
 あまりにも案の定だったので、獄寺はつい吹き出してしまった。慌てて横を向く。さっきまでずっと、いつ言うかと気配を窺っていたのだ。
「もちろんっすよ! つか、10代目、ほんと食いもんの趣味変わってないんすね。」
「いいだろ。好きなんだから。
 大体、獄寺君もやっぱり玉子入れてるじゃん。
 それで、たこゲソは人間の食いもんじゃないとかいうんだろ?」
 何度も何度も、帰り道、寄り道しながら繰り返したやり取り。忘れる訳がない。
「……あ! そうだ山本!」
 会計を済ませたところで獄寺が声を上げた。
「しまった、あいつにタカれば寿司食えたのに。
 すみません10代目、オレ気が付かなくて。今からでも……」
「いいよ。」
 獄寺の言葉を綱吉は静かに制した。
「山本は、また今度。
 今は寿司よりおでんって気分なんだ。それに、寿司はイタリアでも食えるしね。」
 帰ろう、と、綱吉がまた手を差し出す。
 片手にコンビニの袋をぶら下げて、中学の頃から、何度も歩いた道を手を繋いで歩く。
 綱吉は無言だった。けれど、一回り大きくなった手の平の温度に、遠回しに、会いに来たのだと言われた気がした。


「……あ。オリオン座。」
 空を見上げて綱吉が声をあげる。視界の先には三連星が輝いている。
「オレ、星座ってあれくらいしか見つけられないんだよね。」
 綱吉は獄寺を振り返って苦笑いした。
「ディーノさんが言ってたんだけどさ、本当に日本とイタリアは空の色が違うね。星がよく見える。」
 前半は同感だった。けれど、後半は違う気がして獄寺は首を傾げる。
「向こうの方が、夜は暗くありませんか?」
「うん。だから星が小さいのまでたくさん見えすぎて、星座が作れない。こっちのほうが、ああ、あの星を繋ぐんだなってわかりやすい。」
 なるほど。獄寺は再び空を仰ぐ。
 それ自体ほんのり光っているような夜空に、それに負けない強い光だけが、その存在を主張していた。
「なんでこっちのほうが明るいんだと思う?」
 同じく空を見上げたまま、綱吉が問う。
「それはその、住宅地ですし。それに、イタリアより窓が大きくて、夜でもおそいから明るくて……」
 そうだね、と綱吉は同意した。
「あとね、こんな説もあるんだよ。
 日本のほうが湿度が高いだろ。空気のなかの見えない水の粒が、地上の光を反射して明るいんじゃないかって。それで空まで光ってるんだって。」
 なるほど。
 獄寺は納得して感嘆の声を漏らす。
「さすが10代目っすね! 博識です!」
「オレじゃないよ。君が言ったのの受け売り。」
 くくっとおかしそうに綱吉は目を細め、獄寺は反対に目を丸くした。
「オレが、ですか?」
「そう。それで、水蒸気って雲の素だろ? そこら中に雲雀がいるなんてぞっとするって。」
 屈託なく綱吉は思い出し笑いをする。
 それは一体何年先のことだろう。
 この人と二人、イタリアの空の下で、空の色が違うなんてたわいもない話をする。それはまるでお伽話のハッピーエンドのように獄寺には思えた。
 夢みたいだ。
 だが、雲雀が……なんてくだりはいかにも自分が言いそうなことで  実際、大気に浮かんだ水蒸気を意識すると、全方位から雲雀に監視されているようで獄寺はちょっとイラッとした  そのエピソードは獄寺を安心させた。何年か先、確かに、イタリアの空の下に自分は綱吉とともにいるのだ。
 星数の少ない並盛の空を見上げる。
 大きな星から真っ直ぐに光が落ちてくる。それが隣を歩く人の瞳をきらめかせ、身を飾る銀色に映り込んで静かに光を放っている。正面を見据えれば、足元から真っ直ぐに続くアスファルトの上の白いラインまで光らせて、恐いものなんて何一つ無いような気分にさせた。
 もう一度仰ぎ見ると、隣人はまるで距離を測るように片手を空に突き出している。手首には質素な、しかしおそらくは上質の腕時計が嵌められていた。それも同じように星の光を受けて、重い銀の光を放っている。
 まるで目に焼き付けるようにその様を見つめて、ふと獄寺は気付いた。10代目、と声を掛ける。
「その時計、止まってませんか?」
「あれ、本当だ。」
「電池切れ……じゃないですよね。自動巻だから。気が付いたの今ですか?」
「うん。」
「じゃあ、バズーカのせいっすかね。」
 獄寺は結論付けると綱吉に笑顔を向ける。
「戻ったら、きっと動き出しますよ。」
「……だといいね。」
 綱吉の返事はどこか遠くに向かっていて、獄寺はあれ?と違和感を覚える。
 何か思うところがあるのだろうか。
 しかしそれが明確な疑問の型を取る前に、綱吉が獄寺に向き直ったのでその違和感はするりと逃げ出してしまった。
「そう言えば訊いてなかったけど、獄寺君。
 今日って、未来から帰って来て、何日目?」
「あ。もうすぐ、一ヶ月です。」
「そっか。こっちはもうすぐ二ヶ月。やっぱり、まだちょっとずれてるんだね。」
 もうしばらく調整がいるな、と、綱吉は眉をひそめる。
「やっぱり、復興には時間がかかりそうですか。」
「んー。まあ。
 でも、未来のことだから内緒。それに、これはもう君の未来じゃないしね。
 心配いらないよ。……って、手伝ってもらったのにこの言い方はヒドいかな。」
 綱吉は自嘲気味に言って首を竦める。
「っていうか、聞きたいのはそれじゃなくてさ。
 一ヶ月ってことは、こっちのオレはちょうど今返事待ち?」
 世間話のように軽く聞かれて、不意打ちに獄寺はぎくりとなった。
「なん、で……」
 分かったんですか? 訊こうとした声が掠れてうまく出てこない。反対に、綱吉はしてやったりと言うように声を弾ませる。
「オレもね、ちょうどこんな時期に自覚するようなことがあって、考え無しに告白して、で、返事もらうまでに一ヶ月ちょっとかかったんだ。」
 あの時は生きた心地しなかったな。
 言葉とは裏腹、綱吉は懐かしそうに目を細める。
「……で、こっちのオレもやっぱ返事待ちなのか。
 あーあ。すごいタイミングで飛ばされちゃったなー。これ絶対『オレ』に恨まれるよなー。しっかり手なんか繋いじゃってさー。」
 歌うように言って、綱吉は繋いだ手をぶらんぶらんと揺らした。


 それは、この世界に帰還してすぐのことだ。
 ツナが獄寺に告げた言葉は、『ありがとう』と『ずっと一緒にいて』。
 言葉はひどくシンプルで、けれどその言葉に込められた熱量はいくら鈍感な獄寺にも痛いほどに分かった。
 うれしかった。
 うれしくて、手を取ろうとして、その瞬間に竦んだ。
   ずっとっていうのは、いつまでだろう。
 同じ思いを繰り返すのかと思ったら身が竦んだ。
 その手を取れなくなった。
 獄寺の浮かべた歓喜の笑顔が一瞬で消えるのを見て、ツナは静かに手を降ろした。

 
 それっきり、獄寺は返事ができないままでいる。ツナとは曖昧な距離のままだ。
 そして今、大人になった綱吉と当然のように手を繋いで話している。
 久しぶりに感じる居心地の良さ。
 それは獄寺に今のもつれてしまった糸を再確認させた。
   本当は、何も考えずにあの手を取りたかったんだ。
「……10代目、オレは……なんて答えたんですか?」
「聞いてどうするの? それと同じように答えるつもり?」
 綱吉は足を止め、獄寺を『見下ろした。』
「おんなじはダメだよ。せっかく変えたのに同じ答えじゃ、また同じ未来に着いちゃう。自分で考えなきゃ。」
 言われて獄寺は口を噤む。
 やっぱり、同じ未来を繰り返すこともないとは言えないのだ。
 まして、相手はボンゴレファミリーの10代目だ。窮地に立たされる確率は?
 そのとき彼が、同じ決断を下す可能性は?
 その時、オレは  
 押し黙る獄寺の手を引いて、綱吉が、それにね、と、思い出すように口にした。
「それにあれは、オレがオレの獄寺君からもらった答えだから、同じ獄寺君でも君には教えてあげらんない。あれはオレの宝物だから。」
 甘いお菓子を口にするように、綱吉はうっとりと目を細めた。
   それでもオレは、その手を取ったんだ  
 その決断をした自分が、どれほどの覚悟をして綱吉の手を取ったのか、獄寺には分からない。ただ分かるのは、二人はずっと一緒だと約束したんだ。なのに  
「……こわい?」
 綱吉が尋ねた。言い当てられて、獄寺はおどろく。
  なんで、」
「さあ、10代目の勘かな。」
 嘯いて綱吉は目を逸らす。
「同じ答えを出さなくてもいいんだよ。獄寺君は獄寺君なんだから。オレが決めることじゃなくて、獄寺君が決めること。」
 しかし言葉とは裏腹に、綱吉は立ち尽くす獄寺の手を強く握り直した。
 獄寺は、その言葉を信じていいのか分からない。口の端を噛んで、じっと足元を睨みつける。
「……でもね。オレは、」
 言葉を区切り、綱吉は繋いだ手を持ち上げた。
 獄寺は顔を上げてその手を追う。ぼんやり見上げた視界で、綱吉が獄寺の手の甲にキスをした。
「オレは、この関係になれて、よかったって思ってるな。」
 恭しく頭を垂れて、その手を離さず、同じ目の高さで綱吉は獄寺に告げた。
 獄寺は瞬きさえ忘れて綱吉を見ていた。
   驚いてる。あとちょっとして事態を理解したら、すぐに真っ赤になって取り乱すだろう。
 10代目がそんなことなさっちゃダメです、畏れ多いです。
 簡単に翻弄される獄寺を、綱吉は懐かしく思う。このまま言い聞かせれば簡単に、意のままになるんだろうか。
   けれどそれは、繰り返してはいけないことだ。
 小さく、笑うように息を吐いて、綱吉は獄寺の手を放した。我に返って暴走する前に。
 とんと軽く、まだ小さな背を叩いて送り出す。
「行こう、獄寺君。おでん冷めちゃう。」




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.09.09.09
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