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 大人になったっていうことなんだ。きっと。
 と、ランボは結論づけた。
 びっくりしたのだ。
 朝、あんなにベッドの中でめそめそべそべそしていたのに、起きてボスのところへ行って色々おしゃべりをしているうちに、どうやらランボは今日が自分の誕生日であるということをすっかり忘れてしまっていたらしい。
 ボスに、誕生日おめでとうと言われて、ランボはとてもびっくりした。びっくりして、その後すぐにとても嬉しくもなったけれど、その後に残ったのはやっぱりびっくりの方だった。
 へんなの。
 そう思いながら厨房へ行って、来客用のお茶と簡単な食事の用意をお願いして、庭に出て、涼しい風の通る木陰を選んで椅子とテーブルを用意して、杖をついてゆっくり歩くボスがつまづいたりしないように石ころなんて落ちていないか確認して……。変だなと首を傾げつつも、ランボはそれなりに手際よく歓迎の準備を済ませていった。
 それに、『なんでオレはびっくりしちゃったんだろう』なんてことよりも、もっと考えなくちゃならない問題も浮上した。
 テーブルをセットした場所からは、折角咲きだしたバラがよく見えないのだ。いや、正確には見えないわけじゃないけれど、遠い。
 ランボの目にはちゃんと見えるけれど、ボスの目ではよく見えないだろう。もちろん椅子の近くにもバラはあるけれど、こちらはまだつぼみでちょっとさびしい。
 テーブルをもっと向こうに動かそうか? いや。ボスの身体のことを考えると、それはあまりよくないように思えた。庭の真ん中では日差しが真っ直ぐに降り注いでしまう。
 悩んだ挙げ句、ランボは花瓶にバラを生けることにした。
 咲いたばかりのバラを摘むのは残念な気もしたけれど、でも、バラはまた咲く。これからが盛りだ。バラは、まだまだたくさん咲く。
 つまり、そういうことなんだろうな。と、鋏を片手にランボは結論づけた。
 オレはオレの誕生日よりボスの方が大事だし、ボスのためならバラだって切れる。だって、バラは毎年咲くし、オレの誕生日だって毎年来る。去年も来たし、その前も来たし、来年も、やっぱりくる。
 ランボは、一番きれいに咲いた淡いピンクのバラを選んで、その茎に鋏を当てた。大輪の花は、絹のように柔らかいのにまだ朝の空気を包んでいてしっとりと重い。硬い刺がちくりと指を刺した。
 でも、やっぱりちょっと、寂しいかな……。
 堅い茎に刃を当てたまま、ランボは躊躇った。
 また咲くけれど、『この』バラはもう咲かない。それに、今年のバラはまだ咲き始めたばかりで、これを切ってしまったら庭はしばらくの間寂しくなる。満開の季節なら、一輪ぐらい切ったって、寂しくはならないのに。
 多分、オレはまだちょっと子供なんだ。
 カシャンとランボは何もない空間で鋏を鳴らし、試し切りした。
 カシャン、カシャン。
 もっとたくさん繰り返せば、躊躇うこともなくなるだろう。いくつも誕生日を重ねて、大人になって、できることが増えれば、いちいち誕生日を祝ってくれないとかそんなことを気にする暇もなくなるだろう。あの人達みたいに、特別な日をただの道具にすることだってできるだろう。
 忘れてしまうんだろう。誰も祝ってくれなくて寂しいとか、寂しかったのに、自分でも忘れてしまってびっくりしたりとか、そんなこと、全部。
 カシャン。
 …………なんかそれは、イヤだなあ………
 ため息が漏れた。
 大人になるって、そんなことなんだろうか。だって、誰かの誕生日を忘れるなんてひどいことだ。ひどい大人にはなりたくないし、あの人達だって、昔はそんなじゃなかったのに、と思う。
 昔はそんなじゃなかった。
 奈々ママンは優しかったし、京子さんもハルさんも遊んでくれたし、ツナもおんぶしてくれたし、獄寺……さんにはあの頃からよく泣かされてたけど、でも、みんな優しかった。あの頃は誕生日だって、誕生日だって…………、
 ランボはギクッとなった。
 誕生日だって……あれ?
 確かになんだかいい記憶があるような気がしたんだけど、なんだっけ。覚えてないかもしれない。
 オレが5歳の頃。オレの5歳の誕生日。オレは日本にいて、あの人達はまだ中学二年生で、毎日イーピンとフゥ太と日が暮れるまで遊んでて、オレは幸せな子供だった。だから、5歳の誕生日、あの日オレは……あれ?
 いや待ってよ、そんなはずないよ、と、ランボは額に手を当てる。
 ちょっと格好つけて前髪を弄りながら、なんでもない、取り乱してなんてない、そんなはずない、と自分に言い聞かせる。
 冷静に考えよう、ランボさん。
 誕生日といったらまずケーキだ。奈々ママンが作ってくれたかもしれない。ランボさんはブドウが好き、ブドウのケーキ……記憶にないな。
 いや待て、買って来たのかもしれない。
 京子さんとハルさんと一緒によく行った駅前の、ええと、そう、ラ・ナミモリーヌのショートケーキ。大きいケーキは白い四角い箱に入ってて……そうだ、ママンのお使いでフゥ太と受け取りに行って、揺らしちゃダメだってフゥ太に怒られ……。ちがう。これ、リボーンの誕生日のときだ。あの日確かオレランボさんの棒をプレゼントしてリボーンに散々馬鹿にされて……うわぁ。
 ランボはガーッと自分の顔が赤くなるのを感じた。
 う、わぁ。思い出したくない過去だなあ。なんでオレあんなの楽しかったんだろ? 瞬間接着剤を指の間につけて引き延ばして糸状にふわふわーって。あれ、綿アメみたいなんだよな、いつまでもいつまでもふわふわーって出てくるから面白くって、なんでリボーンにはわからないんだろ。面白いのに。
 『面白いのに』
 ランボは自分の発言に愕然とした。
 お、面白いのにって。
 粋でいなせで伊達男なランボさん本日をもって15歳。そんなこと言っちゃダメだろ、違うだろ、またみんなに笑われちゃうぞ。アホ牛って子供扱いされる。違うよ、オレはもう大人だ。
 『おとな!』
 ランボは両手を握りしめて気合いを入れ直す。
 ところで、そうだ。誕生日といったらプレゼントだ。プレゼント、贈り物。何か貰ったはずだ。10年前の、オレの5歳の誕生日。
 プレゼントというキーワードは、ランボの遠い記憶の中に、ケーキよりも確かな手触りがあった。何かを受け取ったような気がする。胸の奥から、なんだかちょっといい匂いがする。甘い匂い。懐かしい匂い。懐かしいけど、よく知っている匂い。ぼんやりと覚えている、差し伸べられた大きな手。
 そんなものが確かにあった気がするけれど、それ以上は思い出せなかった。思い出そうとしても、昼の太陽を見上げるように目が眩んではっきりと見えない。明るくて白くてふわふわして甘い、いい匂いのする記憶。それだけ。もう触れない。
 ……ほんとうに、忘れちゃうんだ。
 ランボはもう驚かなかった。そのかわり、ちょっと泣きそうだった。
 大人になるのは、寂しいな。
 けれど、ランボはもうぐすぐすしている場合ではなかった。もうすぐ来客の時間だ。このバラを切ったら、ボスを迎えに行かなくちゃならない。庭に出るのを手伝って、それから庭園の入り口までお客様を迎えに行こう。ボヴィーノの屋敷は、迷いやすい。することはたくさんあるんだ。……ここでなら。
 ランボはごしごしとまぶたを擦った。めそめそしている時間はない。
 そして、ランボが再びバラの茎に手を当てたときだった。
 くらり、と世界が歪んだ。白い靄が視界を覆う。行ってこい、と、額を突き飛ばされるような感覚。
 バズーカだ…………
 背中から落下しながら、ランボは思った。




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.08.08.11