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 靄が晴れると、まず夕焼けが見えた。赤い空を黒く縁取るのは電信柱と平凡な家並み。呼び出されるたびに目にする、見慣れた街の景色。なのに、幼い日々を過ごした懐かしい風景。
 それから、ちょっと下の方に視線をずらすと、彼らがいた。10年前の、まだ自分より背の低い、ただの中学生二年生の沢田綱吉と獄寺隼人。
「あ、大人ランボ!」
 若き日のボンゴレが自分を指差して言った。
(大人……か。)
 掟その一、未来のことについては何も語ってはならない。
「お久しぶりです、若きボンゴレ。それから獄寺氏。」
 大人らしく、礼儀正しい挨拶を。
 と思ったのだが、さっきまでイタリア圏だったのでとっさに正しい日本語の敬語が出てこなかった。
(しまった、Mr.を氏で置き換えるなってよく言われるのに。またやってしまった。)
 ともかく、知らんぷりであとを続ける。
「……お二人は、学校からお帰りになられるところですか?」
「うん、そう。それで、帰り道に子供の君が……」
「朝っぱらからちょろちょろウゼーんだよ。」
 割って入ったのは獄寺だった。
 腕組みして不機嫌そうな様子は、数週間前イタリアのホテルでみた表情と変わらない。見上げると見下ろすが入れ替わっただけだ。
「なんだか知らねーけど今日は学校についてこようとするし、追っ払っても柱の影からじっとこっち見てやがるし、授業中も休み時間も窓の外でへったくそな隠れたふりしやがって。
 で、帰りもやっぱ校門で待ち伏せしてやがって、しょーがねーから用があんのかと思って10代目がわざわざお声をかけてくださったのに今度は逃げるし。取っ捕まえたら泣き出してこの有様だ。
 ったく、なんなんだよ今日のお前。尾行ごっこかよ?」
「ちょ、獄寺君。大人ランボに言っても仕方ないだろ?」
「ん。そりゃそーっすけど……」
 何となく、ランボは思い出した。
 嫌な汗が背中を伝う。
「あの、ボンゴレ? つかぬ事をお伺いしますが、今日は一体何月何日ですか?」
「今日?」
 聞き返したボンゴレの隣で獄寺が携帯電話を開いた。
「5月28日午後5時57分。それがどうした?」
 …………やっぱり! 5月28日!!
 ランボは震える口を開き、言葉を紡ごうとした。平然と、大人を装おうとして……、ダメだ。勝手に唇がわなわなと震える。
 がまん。がまんしろランボ。がまん!
「あの……、今日、オレの誕生日、です。」
「えー!?」
 ボンゴレが、少年らしい高い声で驚いた。
「なんだ、ちっとも知らなかった! そーか、それで。」
 『ちっとも知らなかった』
 しかも感嘆符付きで!
 なんて残酷な現実だろう。(いや、正確には過去か。)いずれにせよともかく。
 存在しなかったのだ。オレの幸せな5歳の誕生日は。
 それだけで、ランボはその場に膝をつきたい気分だった。が、ランボに突きつけられた衝撃的な事実はそれだけではなかった。
 若きボンゴレが、納得したようにぱちんと手をあわせる。
「なあんだ。構って欲しくてうろついてたのか。道理でいつにも増してウザ……じゃない、うるさい訳だ。」
 『いつにも増して、ウザい』
 若き日の、まだ幼い13歳の子供のボンゴレにまでこの言われ様。
 あんまりだ。涙が出そうだ。
(う、あ。まずい、泣く! がま、ん……無理!!)
「う……うあああああああん!」
「ちょ、ランボ!?」
「なんでテメーが泣くんだよ! まだなんもしてねーぞ!!」
「うっ、ぐず。な、なんにもって、それがわるいんですよ!!」
「はあ?」
「だってオレ、5歳ですよ? 5歳の誕生日ですよ? なんにもなしなんてひどいじゃないですか!」
 二人はぽかん、という顔をした。
 ひどい、分かってくれないなんて。やっぱりこの人達は昔っからヒドイ人達だったんだ。ああ、15歳どころか5歳の誕生日も祝ってもらえないなんて、なんてかわいそうなオレ!
「んな……、わかるわきゃねーだろーが! 今日がテメーの誕生日だなんて!」
「分かってください! 察してください! オレ今日一日中祝って欲しそうにしてたんでしょ!?」
「無茶言うな。分かるかよ! 祝ってほしけりゃはっきりそう言えよ!」
「言えるわけないじゃないですか! オレ5歳ですよ!? 子供なんですよ!?」
「逆だろ! 子供なら余計はっきり言えよ、なんで大人のてめーが出て来てぎゃあぎゃあ抜かしてんだ! こっちの話はてめーにゃ関係ねぇだろが!!」
 ほら、またこれだ。お前には関係ないって、この人達はいっつもそうだ。
 不公平だ。
 ランボの前にはいつだって10年間の溝がある。その深い谷がいつだってランボだけを除け者にする。
 ひどいよ。
 喚き散らしたい衝動が腹の奥でぐるぐると渦を巻いた。
 ランボは、いつもこの衝動を抱えていた。幼い頃は手放しでこの衝動を吐き出すことができた。けれど、いつのまにかランボは大人になって、それ以上にこの衝動を受け止めてくれる相手が大人になってしまって、ランボはこの衝動を我慢するようになっていた。
 ひどいと思う。不公平だと思う。こればっかりは自分のせいじゃないと思う。
 でも、時の流れだけはどうしようもない。あと10年早く生まれてきたかった。そんなこと言っても、自分が一回りも年下なことだけはどうしようもない。
 ランボは衝動を押さえ込むことを覚えた。次に覚えたのは子供の立場に甘んじることだった。それから、できるだけいい子であること。どうしようもないことは言わない。時の流れには逆らわない。
 けれど、今日は、少し具合が違った。
 10年前の夕焼けの街や、二人の制服の安っぽい白さや、まだ幼い顎の輪郭などを見下ろしているうちに、衝動を吐き出してもいいような気がしてきた。
 二人とも、まだ子供じゃないか。それにオレは、今日で15歳だ。なんでオレが、二人に意見するのを我慢しなきゃいけないんだろう。子供らしく黙って言うことを聞いていなきゃいけないんだろう。なんでオレだけ関係ないって仲間はずれにされなきゃいけないんだ?
 胸の奥にぐるぐると、大蛇のような気持ちがとぐろを巻いている。その尻尾をつかんで、ランボはそれをちょっとだけ引きづり出すことにした。
 わがままを言うんじゃない。衝動に身を任せるんじゃない。オレはもう大人だ。ちゃんとオレの意思で言うんだ。
 ランボはごくりとつばを飲み込んだ。
「か、関係ありますよ! 獄寺さん子供だから分かんないんです!」
「ああ? 誰が子供だって?」
「獄寺君!」
 一歩身を乗り出した獄寺の制服を、ツナが引っ張って押しとどめた。
 そう、二人とも、背伸びしなきゃオレに届かない。まだ戦ったこともない。これから何が起こるかも知らない。ただの中学生だ。
「子供ですよ、二人とも子供です!
 今日の時点じゃまだ13歳じゃないですか、ただの中学生じゃないですか! オレ、今日で15歳です、大人です! もう大人で、ちゃんとマフィアで、戦えるし仕事だってできるし……」
 引きづり出した蛇が、自分の手を離れて勝手に暴れ出してしまったことにランボは気がついた。
 ああ、これは言っちゃいけないことだ。未来のことは言っちゃいけない。
 ランボは思ったけれど、言葉は涙のように溢れて止まらなかった。それに……
 オレ、本当に大人なのかな。仕事はさせてもらえない、自宅待機の仲間はずれ。本当のことじゃないなら、ウソなら、いくら言ってもいいか。
 もうやけくそだった。ランボは両手を放して全部投げ出した。
「大体、二人ともずるいんです! 獄寺さんちゃんと全員分覚えてるくせに、ツナはみんなの分はお祝いするのに、なんでオレだけ!? ひどいじゃないですか!」
 オレだけ、いつだって、置いてきぼりの仲間はずれ。関係ないってそればっかり。
 また涙が出て来た。
「っく、ひぐ、うああああああああん!!」
「だからなんで泣くんだよ、わっけわかんねえ!」
「うっさい、ごくでらのあほー!つなのばかあ!うわあああああああ!!」
「んだと、てめ!」
「ごっ、獄寺君ストップ!!」
 道路に座り込んで泣きじゃくるランボに、獄寺は殴り掛かろうとした。それを、ツナが止める。
「ラ、ランボ? あの、気付かなくてごめんよ、誕生日。来年は、ちゃんと祝ってやるからさ。だから泣き止めよ、な?」
 そんなのは無理だ。来年の今頃は、ツナはもうツナじゃなくてボンゴレだ。お祝いなんてしている暇はない。
「っ、……ふぇ、」
 でもこれは言っちゃいけないことだ。『本当に』言っちゃあいけないことだ。
 本当に言っちゃいけないことは絶対言わないぐらいには、オレはもう子供じゃない。
「うああ、うあああああああああああああああああああああん!!」
 獄寺が顔をしかめる。
「だーもー、うるせえ泣くな! さっき大人だって言ったのはどこのどいつだよ! ああ?」
「うぇ、ひっく。お、おとなって、ゆのは……ひゅぐっ、い……いろいろ、ふく、ふぇえっ。フク、フクザツ、なんです!」
 どうにか言い切ると、喉が勝手にびえええええええええっと泣き叫んだ。
 二人が顔を見合わせる。
 そりゃ、そうだろう。オレだって、もうどうしたらいいのかわからない。
「うええええええええええん!!」
「えっと……あのな、ランボ。」
 ツナが地面に膝をついた。明るいブラウンの瞳の中で、黒髪の青年が大泣きしている。
 その泣き声を、いっそ他人のもののように聞きながら、ツナは変わらないな、とランボは思った。
 ツナの目もツナの声も獄寺の不機嫌そうな顔も、泣いてばっかりのオレも、ボヴィーノのボスもバラの庭も、世界は、変わらないものばっかりだ。
「あのな、ランボ。本当に、忘れないから。来年もその次も、ずっとちゃんと覚えててお祝いしてやるから。だから、」
 でも、これだけは変わってしまう。ツナは嘘つきだ。
「ひぅ、っく。じう……10年後、がっ……、どーなってる、かも、しらない、くせに……!」
 びくっと、ツナが手を引っ込めた。
 5歳のオレにしていたように、あやそうとして伸ばされた手は、そのまま固まってしまった。
 ここに、10年分の時の溝がある。これだけは、時間だけは誰にも、たとえボンゴレであろうとも、どうすることもできないのだ。
 誰も、こっち側にはこれないんだ。
「……10代目、」
 すとん、と獄寺がしゃがみ込んだ。
「オレは、10年後も10代目と一緒にいますよ。」
 ウォレットチェーンが地に落ちて、アスファルトの上で静かに光っていた。
 もしもランボが本当にもっと大人だったなら、その時の獄寺の声が、いつもに比べてひどく平板だったことに気がついただろう。
 生憎、やっぱりランボはまだ子供だった。
 ……やっぱりこのヒトが一番ばかだ。
 散々泣いて酸欠になりかけた頭でランボはそう判断した。
「本当に、もういい加減泣きやめよ。」
 獄寺はランボの頭を軽く小突いた。くらんとランボの視界が揺れる。
「ほんとめんどくせーなお前。どーせ10年後もつまんねーことで10代目のお手を煩わせてんだろ。」
 それから、獄寺はツナに向き直る。
「オレが覚えときますよ。10代目。オレ記憶力はいいんです。それに、オレは10年後も50年後も絶対10代目のお側にいますから、アホ牛の誕生日とか、そーゆーめんどくせーことは全部まとめてオレが処理しますよ。任せてください。」
 やっぱこのヒト馬鹿だ。なんにも考えてないんだ。
 ランボは繰り返す。
 やっぱりこの人達はいい加減で嘘つきで、なんにもわかってくれないんだ。
 ならなんで、オレを一人で放っておくんだよ。
 呼吸困難で目が回る。
「……嘘吐き。」
 吐き捨てたら、噴き出した涙で視界が歪んだ。




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.08.08.11