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 雲の守護者、雲雀恭弥は、それはそれは不愉快そうな顔をしていた。
「僕はもう帰りたいんだけど。」
 凍てつくような視線の先にはにこにこと笑う山本がいる。その向こうが、この部屋の出口、ドアだった。
「だから、ちょっと待て!」
 雲雀の背中側には獄寺と笹川了平が控えていた。
「まだこっちの用件は終わってねぇ!!」
 獄寺が強引に雲雀を振り向かせようとする。スーツの肩に指がかかって皺がよる。その瞬間、ガツンとトンファーが振り下ろされた。獄寺の手の甲の上に。骨が潰れるような、鈍い音が部屋に響く。
 あっちゃあ。ボンゴレが、自分まで痛そうに顔をしかめた。
「ぃ、っ、でぇぇぇえええ」
「…………弱い。」
 つまらなそうな雲雀の声に獄寺の顔が怒りで朱に染まる。
「んだとテメ、今のはちょっと油断しただけだ。てめーなんざ本気だしゃ……!!」
「まあ待て、タコ頭。」
 飛び掛からんばかりの獄寺を、了平が押し止める。
「そーそー、やめとけって。ここで本気出したら部屋ごと吹っ飛ぶから、な?」
「そうだぞ。どうせやるならボクシングにせんか。リングはないがレフェリーしてやるぞ、なぁヒバリ。」
 うんざり。雲雀は了平を一瞥した。
「いやだよ。なんで僕がこれとそんなことしなきゃならないの。君達のお遊びに巻き込まないでよ。不愉快だ。」
「ソンナコト?」
 了平の眉が跳ね上がる。
 あ。と、ボンゴレが呟いた。しまったオレ、ポジション配置ミスった。
 その通りだとランボは心で相槌を打った。
 了平が吠える。
「そんなこととはなんだ、そんなこととは! ボクシングを馬鹿にする奴はたとえヒバリであろうと容赦はせんぞ!!」
「つか、ボクシングはどーでもいーんだよ、この極限ボクシングバカ!!」
 そして了平から解放されてしまった獄寺も再び雲雀に食って掛かる。
「大体てめーは勝手なんだよ! 組織には帰順しねぇ。けどリングも返さねぇ。こンの身勝手ヤローめ、てめーの相手なんざこっちから願い下げだ。帰るんだったら勝手に帰りやがれ!」
 一気に怒鳴り散らすと、最後には中指を突き立てた。
「おい、獄寺。」
「んだよ山本。てめーまさかヒバリの肩持つのか?」
「いや、そーじゃねーけど、」
 ドアを背に、山本が両手を上げる。お手上げ、のサイン。
 どうしよう。ランボはボンゴレを見る。
 彼は相変わらず窓の外を見たまま、ため息をついた。
 あーあ、ヒバリさんに帰られちゃったら困るなあ。
 それはとても小さな声で、隣にいるランボにも聞き取りにくいほどだった。その後に続いた『あ、ヒコーキ』の声の方がよほど大きかった。
 けれど、獄寺の背中は小さい方の声に反応する。一瞬やべっと肩を竦めて、それから、お任せくださいとばかり腕を組んで胸を張る。声が一段威圧的になる。
「帰りたきゃ帰れよ、ヒバリ。そん代わり、」
 ずい、と、獄寺は右手を突き出した。
 その手の先、雲雀の手元にはROMが一枚。それが今年の誕生日のプレゼント、彼をこの場に連れ出すための餌だった、とある機密情報だ。
「帰るんだったら返せよ、そのディスク。」
「嫌だね。」
 即答で拒絶して、彼は酷薄な笑みを浮かべる。
「僕はちゃんとここまで来たんだ。取引終了だろ?」
「は! これのどこが取引だよ。てめ、人が必死こいて用意したモン、受け取るだけ受け取って置きながらろくに話もきかねーじゃねーか。カグヤヒメかよ、てめーは!」
「へえ、」
 珍しく、雲雀の目に表情が浮かんだ。からかうようにほんの少し穏やかになる。
「じゃあ、これは蓬莱の玉の枝かな。よく出来たガセだったりして。」
「……本当に、馬鹿にすんのも大概にしろよ。」
 反対に、獄寺の声は一段低くなった。
「ボンゴレと、オレの名に賭けて、それはマジもんだ。」
 ふうん、どうかな。雲雀が呟いて、場の空気が張りつめる。
 ちら、と、ランボはボンゴレを見る。彼はまだ窓の外を見ている。動く気はないらしい。
 どう……しよう。オレもあっち行った方がいいのかな。
 けれど、年長の守護者達の緊迫した空気に気圧されて、ランボは動くことができない。
 結局、状況をを打ち破ったのは山本だった。
「……なー、ごくでらー?」
 気の抜けた声に、一瞬、獄寺の気が削がれる。
 一呼吸。
 眉間の皺を作り直して、彼は山本を仰ぎ見る。
「ンだよ?」
「なぁ、なんでかぐやひめが出てくんだ?」
「というかタコ頭、ホーレンソウとタマネギがどうしたのだ?」
 獄寺は、睨んだまま呆れてかつ馬鹿にしたように笑うという複雑な表情を作ってみせた。
 再び深呼吸。今度は声を張り上げるために。
「アホかてめーら! ほうれん草と玉葱じゃねえよ、ホーライのタマノエダだ! 聞き違えんな! つか竹取物語ぐらい覚えとけよ、そこのバカ一号ニ号!!」
「一号?」
 山本が自分を指してふにゃっと笑う。ポンと手を打って了平があとを続ける。
「ではオレが二号でタコヘッドが三号か。」
「ざっけんな。二号で終わりだ、一緒にすんな!」
「ハハッ。まーよいではないか。」
「よ、く、ね、え、よ!」
 そこで、カシャン、と涼しげな金属音がした。
「……いい加減にしてほしいな。」
 知っている者にとっては、体中の血液が凍り付くような音だ。
「僕は、君達みたいな群れが一番嫌いなんだ。」
 雲雀が、二本目のトンファーを抜いた。
「もちろん…………知ってるよね?」
 二本の凶器が光を放つ。
「なんだ? やんのかよ。」
「まあ、相手にはなるがな。」
 獄寺が腰を落とし、了平は半身を退いて構える。
「まーまー3人とも、そー熱くなるなって。な?」
 山本だけが、変わらず自然体で立っていた。愛刀も未だぶらんと背中に下げられたままだ。
「それにヒバリ、出口、オレの後ろだぜ?」
「関係ないよ。僕がその気になれば、その窓を破ってだって出られるんだ。」
「げ。ヒバリそー来んの?」
 参ったなと肩を竦めて、山本も柄を握り直した。
「やるなら前に出たら? 山本武。」
「はは。そーしたいけど今日は一応後衛なんで。ヒバリ相手じゃ油断できねーからな。振り切ってフツーにドアから逃げられたらかっこわりーし。」
「ふうん。」
 そして雲雀は彼らの長に声をかける。
「立ちなよ、沢田綱吉。座ったまま殺されたいの?」
 ひぃっ。ボンゴレは小さく悲鳴を上げた。
 やる気なんかないですといわんばかり、両手を宙に掲げて立ち上がる。
「あのー……ヒバリさん?」
 ボンゴレは青ざめた顔で早口で一息に言った。
「オレ今日は群れてないんですけどっ。」
「つまらない猿芝居はやめなよ。君、ガラスの反射を利用してずっと見てたくせに。」
 言い逃れ失敗。
 ばれてるしっ!と小声で叫んで、ボンゴレはランボに目配せした。
 危ないから、ちょっと離れてろよ。
 言われた通り、ランボはじりじりと壁際に後退する。ボンゴレは雲雀へと歩み寄る。
「えーっと、とりあえずその、みんな、落ち着いて……ね?」
 ボンゴレに道を空けるように、了平が構えを解いた。獄寺も両手を降ろしたが、立ち位置は譲らない。ボンゴレと雲雀の間に半身を割り込ませて楯となる。
「その、オレたちはただ、折角誕生日だし普段なかなか会えないしちょっとお祝いをって、考えて……」
「お祝いなら、君が相手してくれるのが一番なんだけど。」
「えーと。それはちょっと」
 どうしようかなあ。
 ボンゴレが曖昧に誤魔化そうとした時、『何か』が起こった。
 ランボには何が起こったのかわからなかった。気がついたら、雲雀のトンファーの先端が、ツナの眉間に触れるか触れないかのところでぴたりと静止していた。
 ツナが紙一重で避けたのかもしれないし、獄寺が押して打点を逸らしたのかもしれないし、他の誰かが何かしたのかもしれない。もしかしたら、雲雀自身が寸止めしたのかもしれない。
 ただはっきりしているのは、その攻撃はボンゴレには当たらなかった、ということだ。
 風圧で、ふぁさ、と前髪が揺れた。
 両手を宙に掲げたまま、ひぇええっと、ボンゴレが冗談みたいな悲鳴を上げた。
「だからほんっとにオレはやる気ないんですってば! 今日はオレ、グローブどころかリングもしてないんですよ?」
「今日は、じゃなくて、今日も、だろう。」
 雲雀はトンファーを降ろした。フンとつまらなそうに息を吐いて、戦闘体勢を解く。
「帰る。君みたいなのと群れるつもりはないんだ。」
「ああっ! だから、ちょっと待ってってば!!」
 ボンゴレはわたわたと手を動かして言い募る。
「もっ、もちろん、ヒバリさんのことはわかってます。群れなくていいです。
 ヒバリさんはオレたちとは群れなくていいですけど、でも一応守護者なんだから、一応連携取れるように、ちょっと確認を……」
 威厳も尊厳もない言い方に、雲雀は完全に興味を失ったらしい。ふぁ、とあくびをした。
「君、今二回『一応』って言ったよ。」
 それでもボンゴレはひるまない。
「い、ち、お、う! 顔と名前覚えてるかぐらいは確認させてください!」
「しつこいな。ちゃんと覚えてるよ。」
 ぴたりと真正面の人物を指差す。
「君が沢田綱吉。それから、獄寺隼人に山本武、笹川了平、それから」
 順々に指差していった人差し指が、ランボの上で止まった。
「……なに、あれ。」
「っ、だから……」
 ボンゴレが声を張り上げる。両手もついに握りこぶしだ。
「だからアレがランボだってば! ほらオレたちが中学の時はもじゃもじゃのちんちくりんのチビだった!」
 ヒドイ。
 とランボは思ったけれど、雲雀はそれで理解したようだった。
「ああ、雷のリングの所有者か。」
「やっぱり覚えてないじゃないですか! 去年もやりましたよ、このやり取り!」
 あはは、と山本が笑う。
「ヒバリって本当何年経っても変わらねーのな。中学んときのまんま。オレ、あと10cm背が伸びてたら見分けてもらえなかったかも。」
「というか、牛のチビが強烈過ぎたのではないか? でこっぱち娘も、たまに見るとすっかり女らしくになっていて一瞬誰だかわからんしな。」
「ああ、イーピン。元気なんスか、あいつ。オレ、日本でのんびりしてる時間あんまりなくて。」
「いや、オレも京子から写真で見せてもらうばかりなんだが……」
「ねぇ、ちょっと。」
 忌々しげな声が、他愛もない世間話を遮る。
「僕の前で、勝手に会話しないでくれる。そこの馬鹿一号二号。」
「とか言いながらてめーもヒトの命名使ってんじゃねーかよ。」
「……あとは、骸がいないね。」
 雲雀は当然のように獄寺の突っ込みを無視した。
「あれは、まだ?」
「ええ、まあ。」
 歯切れの悪い返事を受けて、雲雀はもう用はないとばかり扉の方を向く。
「でも、そうだ!」
 その背中にボンゴレが努めて明るく声をかけた。
「骸とは直接関係ないけど、黒曜がらみで話しておきたい事もあって……」
 切れ長の目が振り返って、値踏みするようにボンゴレを見た。射るような視線を受け流して、ボンゴレは微笑む。
「ね? 座って話しませんか? ヒバリさん。隣に食事も用意してあるんです。」
 カシャン、カシャン。冷たい金属音を残して、トンファーが隠された。
 山本がドアを開ける。
「そーだ。オレ柏餅も買ってきたんだぜ。ヒバリ、ケーキより好きかと思って。粒あんとこしあんどっちがいい?」
「梅。」
「…………悪ぃ。ごめん、ない。」
「ハハ。どーせ何買ってきても文句いいながら食うくせに。」
「ふん。文句も言わずに何でも食べる奴にとやかく言われたくないな。」
 ぞろぞろと三人が部屋を出て行く。やっと、誕生祝いと冠された、年に一度の雲雀を交えてのミーティングが幕を開ける。
「……あー。こーろされるかとおもったー。」
 三人を見送って、ボンゴレが獄寺に向かって笑いかけた。
「おつかれさまです、10代目。それと……申し訳ありません。今年も結局……」
「相性ばっかりはどうにもならないんじゃない? やっぱ、ヒバリさんの担当は山本かなあ。」
「え、そんな、山本すか!? 」
「拗ねるなよ。相性の問題だって言っただろ?」
 ヒトの話聞いてた?
 ボンゴレはからかうような笑顔を見せる。さっきまでとはまるで別人のようだ。
 これが、ボンゴレ10代目だ。
 ……オレが手を出せるところなんか、ないよなぁ。
 ボンゴレと獄寺はまだ何か言い合っている。まだ少し時間がかかりそうだった。本来ならランボが最後に部屋を出るべきだったけれど、今日はランボも他の守護者を見習って先に部屋を出ることにした。
「ああランボ、ちょっと待って。」




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.08.08.11