back/page3 page4 ボヴィーノは、とてもとても小さな組織だ。 辺鄙な田舎町で、基幹産業は農業。ワインやローズオイルと言ったちょっと付加価値の高い商品を作って売って、それでどうにか慎ましやかな生活を送っている。 マフィア「ボヴィーノファミリー」も、始まりはそういった商品を街に卸すときに荷馬車についていった私設兵団や、となりの集落と諍いを起こさないための自警団だったらしい。今でもその側面は色濃く残っている。争いを好まない。勢力を拡大しようなんて野心もない。よい雨と風に恵まれて、農園に果実がたわわに実る事を何よりも大切に願っている。そんな組織だ。 そのかわり、というべきかどうか、ともかく、歴史は伝統と格式のあの「ボンゴレファミリー」より長い。なにしろボヴィーノときたら、マフィアを名乗る組織があちこちに現れて、それでやっと自分たちもマフィアに分類されると気が付いて「ボヴィーノファミリー」を名乗り始めたくらいだから。だから、いつ成立した組織なのかもわからない。当代のボスが、一体何代目に当たるのかもわからない。よその組織からは、冗談半分に「あそこは時が止まっているんだ」などと言われる。その度に、ランボはちょっとムッとする。ムッとするけれど、反論の根拠がないので唇の端をかんでやり過ごす。そして、帰ってくるたびに、ああ、やっぱり言い返さなくってよかった、と思うのだ。 ボヴィーノは、時が止まっている。夏の初めにバラが咲いて、秋の終わりにブドウが実る。その繰り返し。前になんて進まない。どこにもいかない。ずっとここにいる。これは、とてもすてきな事だ。 あいつらにはわからないんだ。時計の針がいつまでも音を立てて回り続けるように、いつまでも変わらないものがあるという事が、どんなに素晴らしいか。 ◇ 「おはよう。ボス。」 顔を洗って、身支度を整えて、毎朝一番にランボはボスの元へ向かう。 正確には『先代』あるいは『大ボス』と呼ぶべきだったが、ランボは変わらず『ボス』と呼び続けていた。 ボスは病の床について久しい。組織の実権は、既に後継に移譲されている。ここにいるのは、いや、ここで床に伏せているのは、ただの老いた穏やかな男だった。 それでも、ランボのボスはこの人ただ一人なのだ。 「おはよう、ランボ。」 老人が応えた。 ランボは骨張った背中に手を当てて、彼が身を起こすのを手伝う。クッションを当てて上半身を安定させると、皺の寄ったまぶたの奥、くすんだグレイの瞳にランボの姿が映った。 いつもなら、ここで、ありがとうと言われる。ボスはクッションに凭れて、具合のいい日なら、カーテンを開けてくれるかな、と言う。そして天気が良ければ、ランボはボスを散歩に誘う。 なのに今日は、ボスは動かず、瞳に黒髪の少年を映したままでいた。 どうしたんだろう。今日は具合が悪いんだろうか。顔色は、いつもと変わらないようだけれど。 心配になったランボは、それは顔には出さず、にこ、と笑ってみた。 「どうかした? ボス。」 「……今日はね、ランボ、」 ボスの声は、身体が衰えても目が老いても声だけは、いつまでも変わらず芯の通った聞き取りやすい声だった。 ツナの声と似てるな、と、ランボは思う。ツナはボンゴレになってしまったけど、声だけは今でもツナのままだ。じゃあ、ずうっとずうっと先、遠い未来、ツナはボスみたいになるんだろうか? 時々、ランボはそう思う。思うけれど、それはあまりにも遠い未来の事すぎて、その思いつきは幼いランボの中ですぐに立ち消えになってしまう。 「今日はね、ランボ。お前に言う事を二つ用意してあったんだよ。 どちらも大事な用事で、私はもうずっと前からどちらを先に言うかも決めてあった。けれどね、ランボ。今朝お前の顔を見たら、言うべき事が3つに増えてしまったんだ。 さあ、私はどれからお前に伝えたらいいかな。」 こんななぞなぞみたいな問いかけをするときは、いつだって、答えはとっくにボスの中に用意されている。ボスは意見を求めているんじゃなくて、ランボがどう考えるか知りたがっているのだ。 ちょっと考えて、ランボは答えを出した。 「オレは、どの順番でもいいよ。ボスが一番大事だと思うのから言ってよ。」 ゆっくりと目尻が下がる。ボスは目を細めた。 「お前が私と同じ答えをだしてくれた事を嬉しく思うよ、ランボ。さて、では今朝新しく生まれた事から話そうか。 今日は特別な日だけれど、お前がそんな顔をしているのはもっと特別な一大事だからね。」 そこで、ランボのボスは一度言葉を区切った。小さく、乾いた咳が漏れた。ランボは慌ててボスの背に手を回して、ゆっくり撫でながら、しまった、と思う。 答えが合っていたのは嬉しいけど、オレは先にカーテンを開けてくるべきだった。奈々ママンはいつもお日様は大事よと言っていた。いつだって、あの家は明るかった。今、ボスに大事なのは、きっとお日様だ。朝が来てるんだから、カーテンを開ければよかった。話をする時間はそれからでもたくさんあるのに。 ありがとう、とボスが言ったので、ランボはその背中から手を放した。 「お前は優しい子だね。言おうと思ったのはね、ランボ。 今日はどうしてそんな悲しそうな顔をしているのかな?」 しわがれたまぶたの奥、グレイの瞳の中に、黒髪の少年が映っている。少年だ。男の子、だ。ボスの目に映るのはいつも。 彼はちょっと驚いたようで、白い肌がバラ色に染まった。 「悲しい夢でも見たのかな?」 大当たりだ。 でも、と、ランボは口の端をかむ。 でもボスに、本当の事は言いたくなかった。 「ちょっとだけ当たりで、ちょっとだけ外れだよ、ボス。」 ランボは嘘をつくことにした。 「うん。オレ、今日夢を見たんだ。ボンゴレのみんなが出て来てさ、すっごく忙しそうだったから、大丈夫かなって。……オレがいなくても。」 付け足したら、ボスはくすりと笑ったようだった。白い口ひげが動いた。 「本当だよ、ボス。本当に、今すっごく忙しいんだ。 ついこの前、あの気難し屋の雲の守護者を呼び出すのにオレたち散々振り回されて、普通の仕事も溜まってるのにさ。今度はよりによって復讐者の檻にいる霧の守護者に面会を取り付けなきゃいけないんだ。まあ、それは毎年の事なんだけど、今年の牢番はチェントリオ・ファミリーなんだよ。ほら、ボスも知ってるよね。あの西部の、最近急に勢力伸ばし始めてる奴らだよ。 あいつら、武器にもクスリにも手を出すしさ、ボンゴレとはもともと中立とは言えない関係だったんだ。おまけに最近の拡大は例の新興勢力と繋がってるからだっていうのが有力説で、そんなのと、上手く取引なんかできるわけないのに。」 そう、うまく行くわけがない。危ない橋、どころじゃない。失敗したら断崖絶壁目指して一直線だ。 「……獄寺も、いやなら嫌って言えばいいのに、ツナの言う事だと断らないから、」 他人の事を馬鹿だバカだと言うけれど、一番のバカはあの人だ。きっと今頃、なんで骸なんかのためにって悪態吐きながら必死で方法を探してる。 「フゥ太、今頃こき使われて死んでないといいんだけど……」 ため息をつく。いくつもの顔が目に浮かぶ。 なんでオレだけ、こんなところにいるんだろう。 「ランボ。」 ボスの声で、ランボは我に返った。 「……ごめん。これ、ボスに言う事じゃなかったね。」 ランボは笑ってみせようとして、くしゃ、と自分の顔が歪むのを感じた。 本当だ。ボスの言う通り、オレ悲しそうな顔してたんだ。 それはよくないと思う。 ボスに悲しい顔を見せるのはよくない。ピーピーみーみー泣いているのよりもっとよくない。 「待ってて。カーテン開けてくる。」 早口で言って、ランボはベッドサイドを離れた。 ぱたぱたと窓に駆け寄って、カーテンを開ける。眩しさに一瞬目が眩む。チカチカする。 うーっと眉根を寄せてやり過ごすと、見上げた先にはよく晴れた空が広がっていた。 「……今日は天気がいいんだよ、ボス。」 ボンゴレのみんなは、空なんか眺めてる暇あるだろうか。 (わかってるさ。) 空に向かって、ランボは唇を尖らせる。 あそこに居たって邪魔にしかならないだろう。空が晴れてるとか言っても誰も聞いてくれないだろうし(ツナなら……ボンゴレなら、聞いてくれるかもしれないけど)こっそり冷めたコーヒーを取り替えてもありがとうなんて言ってくれないだろうし(フゥ太はともかく、獄寺は絶対言わない)あそこに居たってできる事なんかない。そして、できる事とできない事の見分けもつかないほど、ランボはもう子供じゃあなかった。 (そーだよ。オレだってもう大人だ。どこでどうしてるべきかぐらいわかるさ。) 握りしめていたカーテンを放して、くるりとランボは振り向いた。 「ボス。オレ、ボスと一緒にいれて嬉しいよ? ボンゴレにいるより、ボスと一緒にいる方がいい。」 ボスの顔は、部屋の暗がりに目が慣れなくて、よく見えなかった。ボスからもきっと、逆光でランボの顔はよく見えなかっただろう。それでいいんだ、と、ランボは思った。 それでいい。さあそろそろ、いつも通り笑えているはずだ。泣き虫でちょっとドジなところがお茶目でかわいいランボさん。 「ねえボス、今日は散歩に行かない? 庭のバラが、そろそろ咲きそうなんだ。」 再びベッドサイドに戻ると、ランボは明るい声でそう尋ねた。 「いや、今日は。」 断られる事は珍しかった。ランボは目をぱちくりさせる。 「お客様がお見えになるんだよ、ランボ。彼に、この庭のバラを見せて差し上げたいと思ってね。庭に出るのは、そのときにしよう。」 「うん。わかった。」 頷いてから、ランボは首を傾げる。 「ボスが言おうと思っていた事って、そのお客様の事?」 「ああ、そうだ。正確には、お前にお客様を迎える準備をしてもらおうと思ってね。 11時頃、お見えになるはずだ。庭のちょうど良い場所に、お茶の用意と、お客様のご案内を。 できるかな? ランボ。」 もちろん、と、ランボは答えた。 「でも、そのお客様って誰? オレも知っている人? あ、それと、何人? 彼ってことは、一人?」 くつくつとボスが喉の奥で笑い声を立てた。 「さて、どうしようかな。最初の質問に答えてしまってはつまらないね。誰かは内緒にしておこう。 おいでになるのは一人。けれど、お見えになるのは二人。ああ、お客様用のカップは一つでいい。そして、一人は私よりもランボ、お前の方がよく知っている人物で、もう一人はお前よりも私の方がよく知っている、古い友人だ。」 ボスは、なぞなぞが好きだ。そして、ボスのなぞなぞの答えの多くはこれだった。 「答えは、その時が来たらわかる?」 「ああ、その通り。」 『時が来たらわかる。』 言葉通り、ある日答えが分かったものもあったけれど、いつまでも分からないままのものも多かった。きっとまだ、時が来ていないんだろう。 とりあえず、今日のなぞなぞは11時には解けそうだ。 「あんまり時間がないね。いそがなくっちゃ。」 「ああ、よろしく頼むよ。」 ふと、ボスはベッドサイドの砂時計に目を遣った。 ボスの部屋には時計が多い。普通の時計だけじゃなくて、日時計やオイルクロックなんかもある。ランボの部屋の機巧時計も、ボスから貰い受けたものだ。 ボスが目を遣った砂時計は、もう随分と残りが少なくなっていた。 上に溜まった砂は目に見えて減っていく。けれど、下半分のなだらかな砂山は大きくなりすぎて、さらさらと砂が降り注いでいるのにちっとも姿が変わらないように見えた。 ボスはなんだか満足気に頷いて、そしてランボに視線を戻した。 「さて、ずっと前から一番に言おうと思っていた事が、最後になってしまったね。」 言葉を区切ると、ボスはクッションに凭れていた背を起こした。ランボも、彼に顔を寄せる。 「なあに、ボス?」 「15歳の誕生日、おめでとう。ランボ。」 グレイの瞳に黒髪の少年が映っている。彼は、一瞬驚いたように目を見張り、それからにっこりと笑顔を作った。白い頬が、いかにも幸せそうなバラ色に染まる。 「ありがとう、ボス。」 next/page5 back .08.08.11 |
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